2017年12月20日水曜日

第38回「参火会」12月例会 (通算402回) 2017年12月19日(火) 実施

「現代史を考える集い」32回目(最終回)  昭和63・64年「昭和から平成へ」




今回は、NHK制作DVD32巻目の映像──
瀬戸大橋開通、青函トンネル開業、アフガニスタン和平協定調印、イラン・イラク戦争停戦、上海で高知学芸高の修学旅行一行列車事故で28人死亡、東京湾で釣り船と自衛隊潜水艦が衝突し釣り船客ら30人死亡、牛肉・オレンジ日米交渉決着、レーガン大統領が包括貿易法案に署名し成立、経済白書が内需拡大型の経済成長実現を強調、藤ノ木古墳の石棺開く、韓国・盧泰愚大統領就任式、オリンピック・ソウル大会開催、韓国・全前大統領が国民に謝罪し隠退、米大統領選でブッシュ候補当選、天皇陛下吐血し病床へ~全国で歌舞音曲を自粛、リクルート疑惑表面化、衆院でリクルート疑惑関係者の証人喚問始まる、宮沢蔵相がリクルート疑惑関連で辞任、竹下改造内閣の長谷川法相がリクルート疑惑関連で辞任、ダイエーが南海球団を買収、千代の富士53連勝、消費税臨時国会召集、消費税を含む税制6法案成立、天皇陛下崩御し昭和終わる、新元号「平成」となる、大喪の礼ほか約53分を視聴後、この時代を振りかえる話し合いをいたしました。内容は、下記「この時代の背景」をご覧ください。




会の後半に、来年1月から始まる「世界遺産を考える集い」の第1回目の詳細資料(下の写真)が配布されました。これは、はじめて映像を観る前に、それぞれの「世界遺産」がどんな内容なのかを事前に予習してもらうために用意したもので、毎回、次回の詳細資料を配布する予定です。また、会は毎回、本田技研系列(ピーエスジー)制作の映像(45分前後)を視聴することから始まります。この映像は既に5名は、全10巻(定価1万円)を5千円で購入済ですが、未購入者は、毎回1巻600円で購入できることとします。つまり、会費は基本的に毎回1000円とし、未購入者は1600円を支払うことになります。10巻のセットを崩して提供するため、未購入者が欠席した場合は、次回に前回分とあわせて支払うようにして下さい。また、「世界遺産を考える集い」の会は、どのような進行をするかの討議をいたしました。第1回目は酒井猛夫が、第2回目は谷内秀夫氏が講師役をつとめますが、出席者は誰もが自分の体験を話したり、疑問や質問を投げかけるなど、フランクな会にすることを確認しあいました。




「この時代の背景」

昭和62年11月、中曽根元首相退陣後、竹下登内閣が発足しました。竹下は、次期総裁の地位を争ったニューリーダーの宮沢喜一と安倍晋太郎の協力を取りつけ、宮沢を副総理・蔵相に、安倍晋太郎を幹事長にすえた挙党体制でのスタートでした。気配りと根回しが得意だった竹下は、中曽根内閣が失敗した大型間接税を導入しなくては税収減は避けられないと考え、税制改革を内閣の最重要政策に掲げます。これに対し野党は、売上税のような大型間接税は大衆課税であり、零細業者をはじめ低所得層ほど負担が大きいとして、絶対反対の姿勢を取り続けました。竹下は、態勢を立て直すと、5%で失敗した売上税を「消費税」と名を改め、税率を3%に引き下げた大型間接税の導入を意図しました。

そんな消費税攻防のさなかの63年6月、情報産業時代の大疑獄ともいえる「リクルート事件」が明るみに出ました。リクルート社の江副浩正前会長らが、社業拡大のため、子会社であるリクルート・コスモス社の未公開株を政治家、官僚、財界人、マスコミ幹部らに額面価格でばらまき、公開後の値上がりで元値の数倍の利益を手に入れさせたことが判明。まさに「濡れ手に粟」の新手法による利益供与でした。職務権限がない限り、この種の贈賄を受けたとしても、刑事問題にならないものの、道義的な責任はまぬがれないと野党はこれを追及。先頭に立った社民連の楢崎弥之助は、リクルート・コスモス社の社長室長が、議員会館の楢崎の事務所を訪れて追及の手をゆるめてくれるよう、土下座して懇願する様子をビデオにおさめて放映させるといったこともあって、問題はロッキード事件以来の社会問題に発展しました。渡辺美智雄、加藤六月、加藤紘一らにつづき、中曽根前首相、宮沢蔵相、安倍幹事長らも未公開株を取得しているのが判明しました。また、高石邦男文部次官、加藤孝労働次官らは職務権限がらみの収賄容疑で、江副前会長も贈賄の責任で収監されました。

野党の追及は激しさを増すいっぼうでしたが、同年11月10日、野党が欠席のまま、自民党を中心とした政党による採決で、消費税を柱とする税制改革6法案が衆議院を通過。12月には宮沢蔵相が、秘書名義でリクルート株を受け取っていたという答弁を翻して自らの名義であったとして辞任しました。参議院でも審議は難航を続けたものの、12月24日に可決成立しました。こうして、竹下首相は、歴代内閣でなしえなかった消費税導入を実現させ、翌年の平成元年4月1日から、消費税が発足しました。これを見届けた竹下は、リクルート事件にかかわる政治不信の責任をとり、4月25日に辞意を表明しました。後任首相の人選は混迷をきわめ、リクルート事件にかかわったニューリーダーの宮沢・安倍が脱落、伊東正義総務会長の固辞により、5月31日宇野宗佑外務大臣の擁立が決定します。しかし、内閣発足後、宇野首相の女性問題が週刊誌に報道されると内閣の人気は地に墜ち、7月の参議院選挙では、自民党は改選前の66から36に減らす大敗。いっぽう、社会党は22から46に倍増させました。その結果、参議院では非改選議員と合わせても過半数の127に届かず、自民党結成以来はじめての与野党逆転となりました。大敗を見た宇野は、7月24日に退陣を表明、8月9日に派閥のリーダーでない海部俊樹が首相に選ばれました。海部はひたすら政治改革に取り組むものの党内の反発は根強く、前途多難な滑り出しでした。

この時期のもう一つの問題は、天皇の健康問題でした。昭和62年4月から健康に異常をきたし、胃腸障害のため十二指腸バイパス手術を受けたといわれ、以後1年余り国内に重苦しい空気が流れました。63年9月には吐血して容体が急変、点滴と輸血で生命を維持する状況になったという報道に、多くの国民はお見舞いのために皇居の坂下門ほか各地の記帳所にはせ参じ、各種行事や歌舞音曲を自粛するなど異常な状態が続きました。そして、昭和64年1月7日の朝、長い闘病の末に天皇はついに死去しました。87歳でした。病名は十二指腸腺がんで、昭和天皇とおくり名され、皇太子昭仁親王が皇位を継承、元号は「平成」と改元されました。昭和天皇は、記録がはっきりしている歴代の天皇の中でもっとも高齢であり、その在位期間の足かけ64年もまた最長でした。

天皇の一生、とくに前半生の20年間は、アジア各国へ侵略を続け、ついに世界戦争に突入するという苦難と悲劇の時代でした。人知れぬ悩みや苦しみも多々あったことは推察されますが、太平洋戦争敗戦ののち、天皇が戦争を好まなかったにせよ、国家元首としての戦争責任を明らかにすべきという議論もあり、側近の中には退位して皇太子に譲位すべきだという意見もありました。しかし、明治天皇、大正天皇の例にならい、終身天皇の位にとどまるべきという意志を貫きました。後半生の43年間は、この戦争への反省に立って平和と民主主義をめざし、世界にまれな経済成長を遂げた時代でした。昭和天皇の大喪の礼は、2月24日に行われましたが、それから1年余りは、自粛ムードが国内を支配しました。国民統合の象徴とされた天皇への敬愛の思いが異常に強かったせいかもしれません。

その後の日本と世界の状況をみると、まず平成元年の12月29日、経済大国日本は、東京証券取引所の平均株価が38915円の最高値を記録しました。いっぽう、平成2~3年にはソ連が消滅し、東西ドイツが統一されるなど「冷戦」が終結し、それと歩調を合わせるかのように、日本経済の繁栄は一気に崩壊しました。バブルがはじけてしまったのです。昭和末期の10年ほどの経済繁栄は、政界・官界・財界が馴れ合いがつくりあげた幻想で、カネ余り現象のもとで、人々は狂ったように財テクに走り、土地やブランド品を買いあさるなど、まじめさに欠けていました。日本人の特性は、敗戦後の何もかも失った中から這い上がった粘り強さ、世界の先進諸国が苦戦する中、2度のオイルショックを難なく乗り越えた時のように、不自由さに我慢しながらも、まじめにコツコツ努力を積み重ねる姿にあるような気がいたします。

今回で、32回にわたった「昭和史を考える集い」を終了いたしますが、現在の目で見たとき、なんともおかしな国になってしまったという思いがいたします。中心となる政治家は、ほとんどが2代目、3代目で苦労を知りません。官僚は、エリート意識と出世欲のかたまりのような優等生集団で、予算や情報を独占しています。財政は、借金(主に国債)が1000兆円の大台を超えても、歳入の倍もの借金でまかなうのをやめようとしません。戦後、はじめて国債の発行を決めたのは、昭和40年(1965年)の佐藤栄作内閣の時です。太平洋戦争中は、国債で戦って莫大な借金をし、敗戦で破たんしましたから、戦後はもうやるまいと我慢してきました。でも、この時は東京オリンピック後の不況でどうしようもなく、2590億円の赤字国債の発行を決めました。それから50年たった2015年末、1049兆2661億円になりました。なんと昭和40年の4000倍です。これでは「国は破たんしてしまうのではないか」という声に対し、非破綻論者の理論は、「かつてのロシアやアルゼンチン、近年のギリシャやアイルランドの財政破綻は、外貨建て債務の不履行が原因。95%が円建て債務の日本政府は、絶対に破綻することはない」と反論します。しかし、いつまでもこんなことを許してはなりません。早く手を打って、これ以上の財政赤字を増やさないと決意する、ごまかしのない政治家の登場を待ちたいものです。長い間のおつきあい、ありがとうございました。

(文責・酒井義夫)


「参火会」12月例会 参加者
 (50音順・敬称略)


  • 小田靖忠  文新1966年卒
  • 草ヶ谷陽司 文新1960年卒
  • 郡山千里  文新1961年卒
  • 酒井猛夫  外西1962年卒
  • 酒井義夫   文新1966年卒
  • 菅原 勉  文英1966年卒
  • 竹内 光  文新1962年卒
  • 谷内秀夫  文新1966年卒
  • 反畑誠一   文新1960年卒
  • 深澤雅子   文独1977年卒
  • 増田一也   文新1966年卒
  • 増田道子  外西1968年卒
  • 山本明夫  文新1971年卒

2017年11月22日水曜日

第37回「参火会」11月例会 (通算401回) 2017年11月21日(火) 実施

「現代史を考える集い」31回目  昭和61・62年「円高・国際化の中の日本」




今回は、NHK制作DVD31巻目の映像──
天皇在位60年記念式典・東京サミット開催・臨時国会召集も本会議なしで国会解散・衆参同日選で自民党圧勝・新自由クラブが結党10年で解散・社会党土井たか子委員長選出・自民党中曽根総裁の任期1年延長を決定・フィリピンアキノ大統領就任宣言・米スペースシャトル爆発乗員7人死亡・チェルノブイリ原発事故・英皇太子とダイアナ妃来日・男女雇用機会均等法施行・撚糸工連事件国会に波及・全国各地で大雨災害小貝川(利根川支流)決壊・三菱銀行有楽町支店前で現金輸送車3億円余強奪される・藤尾文相日韓合併をめぐる発言で罷免・日銀公定歩合3%へ引き下げ・防衛費GHP比1%枠突破・伊豆大島三原山大噴火で全島民東京へ避難・売上税法案国会提出・参院岩手補選で社会党勝利・売上税法案廃案へ・フィリピンで誘拐の若王子さん解放・帝銀事件の平沢貞通死刑囚死亡・広島の衣笠祥雄選手連続出場記録達成・利根川進氏にノーベル賞・JR発足・全日本民間労働組合連合会(連合)発足・天皇陛下慢性すい炎と発表・地価が東京で前年比平均85.7%上昇・朝日新聞阪神支局が散弾銃で襲撃される・大韓航空機ビルマ上空で行方不明・米政府が半導体摩擦で対日制裁措置発表・東芝機械ココム違反で強制捜査・中曽根裁定で竹下幹事長を次期総裁に指名・竹下登内閣発足・米ソ首脳INS(中距離核戦力)全廃条約に調印・ニューヨーク株式市場大暴落(ブラックマンデー)・東京株式市場大暴落ほか約56分を視聴後、この時代を振りかえる説明がなされました(下記「この時代の背景」参照)。




後半は、メンバーの酒井義夫が、先週2泊3日で「厳島神社・原爆ドーム(共に世界遺産)・出雲大社・足立美術館・倉敷美観地区・錦帯橋・水木しげる妖怪散策ロード」へ出かけたことで、300枚以上の写真をスクリーンに投写しながら、この旅のリポートをさせてもらいました。また、来年1月から始まる「世界遺産を考える集い」の第1回目 ヨーロッパ篇①「スペイン・イギリス・クロアチア」は、酒井猛夫が講師役を、第2回目 ヨーロッパ篇②「ベルギー・スイス・フランス・スウェーデン」は、谷内秀夫氏が講師役を、酒井義夫が進行役をつとめることになったことを了承いただきました。




「この時代の背景」

前回の昭和60年、貿易の黒字高でも在外資産高でも世界一になった日本は、名実ともにアメリカと競う経済大国となり、昭和61年以降も、好調な経済発展を遂げていました。61年5月には、第12回先進国首脳会議が、2度目の「東京サミット」として開かれ、ここではドル安円高に揺れる国際通貨市場の安定をはかることや、同年4月28日にソ連のウクライナでおきたチェルノブイリ原発事故の情報提供を求めることなどが討議され、そのための西側諸国の協力と結束をうたった「東京宣言」が発表されました。

中曽根首相は、「東京サミット」を主催し「議長」としての外交手腕は各国から高く評価されたことで、この勢いを利用しようと衆院を解散、同年7月に衆参両院の同時選挙が行われました。その結果は、自民党が衆議院で304、参議院で非改選を含め142議席を獲得して大勝利し、首相の権威をさらに高めました。中曽根は、同年10月に2期目の自民党総裁任期を終えるはずでしたが、党則を改訂して1年間総裁任期を延長しました。いっぽう敗北した社会党は、石橋委員長以下執行部が総辞職すると、9月の全党員選挙で、土井たか子が上田哲に圧勝し、大政党では日本初の女性党首が誕生しました。のちに土井は、明確な発言や庶民的なキャラクターで、「おたかさんフィーバー」をまきおこしました。

中曽根は、首相として残された任期のうちに、国鉄の民営化と大平内閣以来懸案だった売上税の導入という2つの大仕事に取り組みます。国鉄は、すでに民営化された電電公社(今のNTT)や専売公社(今の日本たばこ)とちがって、大きな問題をかかえていました。経営赤字の累積(59年末までに22.1兆円)、労使関係の悪化による職場規律の荒廃などで、54年には人員を7万4千人削減して35万人とする「経営改善計画」が発足していましたが、実現にはほど遠いものがありました。これを61年11月、中曽根首相の裁断で、「国鉄改革関連法案」を成立させました。その要点は、旅客6社(北海道・東日本・東海・西日本・四国・九州)と貨物1社など11法人によるJRグループと、16兆7千億円の負債や資産は9千人の従業員とともに国鉄清算事業団に引きつがれるというものでした。こうして、翌62年4月1日、国鉄は115年の歴史の幕を下ろし、かつての3公社はすべて姿を消しました。

中曽根の足元を揺るがしたのは、「売上税」導入問題でした。中曽根の発想は、5%の売上税を導入するかわりに、所得税・住民税・法人税の減税を行うというものでしたが、これに対し、百貨店協会・チェーンストア協会・小売業協会をふくむ日本商工会議所は反対を決議し、自民党支持グループは内部分裂。さらに62年3月の衆院岩手補欠選挙や、4月の北海道・福岡知事選に自民党が敗北し、内閣支持率が前年末39%から24%に低下すると、野党は新年度予算成立と引きかえに売上税廃棄を要求しました。これに応えたことで自民党は、売上税導入に失敗しました。中曽根は、ロン・ヤス関係を柱にタカ派の姿勢を取り続け、靖国神社公式参拝、防衛費1%枠突破、原子力空母の承認などを貫きましたが、この売上税導入失敗は中曽根内閣の命取りとなり、退陣へとつながりました。中曽根首相は62年夏、退陣の意思を表明すると、竹下登、宮沢喜一、安倍晋太郎の3名が立候補し、次期総裁の地位を争いました。その結果、その決定は中曽根の指名によることになり、中曽根は後継者に竹下を指名、同年11月に竹下登内閣がスタートしました。

この2、3年間に世界は、緊張緩和に動きだしていました。昭和60年3月に、ソ連の新しい指導者にゴルバチョフ書記長が就任し、11月にスイスのジュネーブで、米レーガン大統領と会談するなど、冷戦時代は終わりを告げようとしていました。ゴルバチョフは、ソ連国内に「ペレストロイカ」(再構築を意味する改革)や「グラスノスチ」(情報公開)など、民主的な方向に改良していきました。日本も大国の一つとして、世界平和の大きな責任を負うことになります。

なお、急速な円高基調に、輸出不振による「円高不況」を心配した日銀は、昭和61年1月30日、公定歩合を5%から4.5%に引き下げを試みると、以後翌62年2月の2.5%まで、7回にわたる引き下げを繰りかえしました。このような超低金利政策と、円高防止のためのドル買い行動は、「カネ余り現象」を引き起こしました。その結果として、土地や株の相場を押し上げ、高級ブランド商品、高級外車、ゴルフ会員権や絵画、リゾートマンション、はては外国の不動産に至るまで買いあさるブームを引き起こしたのでした。

(文責・酒井義夫)


「参火会」11月例会 参加者
 (50音順・敬称略)


  • 小田靖忠  文新1966年卒
  • 草ヶ谷陽司 文新1960年卒
  • 郡山千里  文新1961年卒
  • 酒井義夫   文新1966年卒
  • 菅原 勉  文英1966年卒
  • 竹内 光  文新1962年卒
  • 谷内秀夫  文新1966年卒
  • 反畑誠一   文新1960年卒
  • 増田一也   文新1966年卒
  • 増田道子  外西1968年卒
  • 向井昌子  文英1966年卒
  • 山本明夫  文新1971年卒

2017年10月18日水曜日

第36回「参火会」10月例会 (通算400回) 2017年10月17日(火) 実施

「現代史を考える集い」30回目  昭和59・60年「貿易摩擦と情報化社会」




今回は、NHK制作DVD30巻目の映像──
江崎グリコ社長誘拐される・江崎グリコ製品販売中止相次ぐ・森永製菓も脅迫される・青酸入り森永製品ばらまかれる・グリコ-森永事件の犯人グループをとり逃がす・警察官の犯罪相次ぐ・三井三池-有明鉱事故・長野県西部地震・実用放送衛星打ち上げ・INSモデル実験スタート・世田谷で通信ケーブル火災・第三セクターによる三陸鉄道開業・エリマキトカゲブーム・コアラ来日・ロサンゼルスオリンピック・アフリカ飢餓深刻に・全斗煥大統領来日・第2次中曽根改造内閣発足・中曽根首相訪米・創政会発足・田中元首相入院・中曽根首相が外国製品のひとり100ドル購入の呼びかけ・日本電信電話(株)-日本たばこ産業(株)発足・新幹線上野~大宮間開業・国鉄仁杉総裁を更迭・国鉄の分割-民営化を答申・三光汽船倒産・グリコ-森永事件の犯人グループ不二家も脅迫・山口組が竹中組長ら射殺・豊田商事事件・投資ジャーナルの中江元会長ら逮捕・ロス疑惑三浦和義逮捕・横綱北の湖引退・つくば科学万博開幕・阪神タイガース日本一・「いじめ問題」全国に広がる・長野地すべり災害・日航ジャンボ機群馬県上野村御巣鷹山に墜落・中曽根首相靖国神社公式参拝・防衛費GNP1%枠問題・ソ連書記長にゴルバチョフ就任・米ソ首脳会談・第2次中曽根第2回改造内閣ほか約57分を視聴後、この時代を振りかえる話し合いをしました。




後半の30分ほどは、メンバーの山本明夫氏が最近、バヌアツという南太平洋にある国を訪れたそうで、太平洋戦争中の昭和18年に26歳で戦死した軍医だった伯父さまへの慰霊のためで、50年来の念願がかなったそうです。たくさんの写真を投影しながら、その探訪リポートをしていただきました。




なお、今回の「参火会」が、「壱火会」時代から通算400回となったこと、これを記念して来年1月から「世界遺産を考える集い」を行うこと、当面12回分の内容を配布しながら、これを機に、広くソフィアンに働きかけることを確認しあいました。





「この時代の背景」

今回の昭和59・60年という2年間も、前回の昭和57・58年に引き続き、日本経済は、絶好調を維持していました。昭和60年末の世界における日本の数字を見ると、家電製品生産額が世界の50%、新造船量同48%、電子部品生産額同36%、自動車生産台数同33%、コンピュータ生産額同26%という圧倒的な数字を筆頭に、日本が世界の輸出額の10%近いものとなったことで、「世界の一割国家」といわれるほどでした。それは、欧米の先進国との貿易摩擦が、さらに激しいものになっていることを意味していました。

この2年間とも、中曽根首相でしたが、中曽根は60年の4月にテレビで国民に一人100ドルの外国製品の購入を呼びかけるなど、「黒字減らし」の政策を追求し、内需拡大・市場開放などを実行しましたが、貿易不均衡はなかなか縮小しません。

当時、レーガン政権のアメリカは、ドル金利が20%にも達し、日本や西ドイツを中心に世界じゅうの投機マネーがアメリカへ集中していました。そして、輸出減少と輸入拡大により国際収支が大幅な赤字となり、財政赤字も累積していた(「双子の赤字」)に苦しんでいました。

それでもレーガン大統領は、ドルが高いことは、アメリカの強さを示すものと強がり、ドルが高すぎ、円が安すぎる(1ドル=240円前後)ことにはあまり気にかけていませんでした。ところがそうも言っておられず、10%程度のドルの切り下げを決意すると、昭和60年9月22日、ニューヨーク市のプラザホテルで開かれた先進5か国 (G5) 蔵相・中央銀行総裁会議で、アメリカのドル安政策に協力するという「プラザ合意」を発表しました。会議に出席したのは、西ドイツ財務相、フランス経済財政相、アメリカ財務長官、イギリス蔵相、日本の竹下登蔵相の5名でした。以後の世界経済に大きな影響を与えた歴史的な合意でしたが、会議自体はわずか20分程度でした。アメリカ経済が不調になると、世界経済への影響が大きいと、他の4か国がアメリカに同調したことによる声明でした。

「プラザ合意」の効果はてきめん。合意直後の9月24日には、大蔵省と日銀は大量のドルを売って円に両替すると、わずか1日で1ドルは242円から230円という、12円もの急激な円高ドル安になりました。円高基調はとどまるところを知らず、多少の変動はあったものの、1年後には150円台、2年後の年末には120円台と、わずか2年で、円はドルに対しほぼ2倍となりました。これが、バブルのきっかけになったことは、当時誰も予測することができませんでした。




なお、昭和60年に出版された『第三の波』(The Third Wave)が「情報化社会の到来」として、大きな話題になり、世界的なベストセラーになりました。アメリカの未来学者であるアルビン・トフラーが著したもので、人類はこれまでに大変革の波を2度経験してきており、第一の波は農業革命(人類が初めて農耕を開始した新石器革命)、第二の波は産業革命(「工業化社会」の到来)と呼ばれるものであり、これからは、第三の波としてコンピュータ、電話、テレビなどの情報革命による脱産業社会(「情報化社会」)が押し寄せてくる、すでに2~3年前から米・日・西独・英などに始まっていると述べています。インターネットが普及する十数年も前に、「情報化社会」を予見した慧眼に敬服します。
(文責・酒井義夫)



「参火会」10月例会 参加者
 (50音順・敬称略)


  • 岩崎 学  文新1962年卒
  • 小田靖忠  文新1966年卒
  • 草ヶ谷陽司 文新1960年卒
  • 郡山千里  文新1961年卒
  • 酒井猛夫  外西1962年卒
  • 酒井義夫   文新1966年卒
  • 菅原 勉  文英1966年卒
  • 竹内 光  文新1962年卒
  • 深澤雅子  文独1977年卒
  • 反畑誠一   文新1960年卒
  • 増田一也   文新1966年卒
  • 増田道子  外西1968年卒
  • 向井昌子  文英1966年卒
  • 山本明夫  文新1971年卒

2017年9月21日木曜日

第35回「参火会」9月例会 (通算399回) 2017年9月19日(火) 実施

「現代史を考える集い」29回目  昭和57・58年「東西緊張と黒字国日本」





今回は、NHK制作DVD29巻目の映像──
ホテルニュージャパン火災・日航機羽田沖に墜落・ミッテラン仏大統領訪日・サッチャー英首相訪日・東北および上越新幹線開業・臨時行政調査会(臨調)基本答申・教科書検定問題・長崎集中豪雨・IBM産業スパイ事件・三越事件・ゲーム機警察汚職事件・日本シリーズ西武初優勝・ソ連ブレジネフ書記長死去・鈴木首相退陣を表明・自民党総裁選挙四氏が立候補・中曽根康弘内閣発足・中曽根首相訪韓・中曽根首相訪米・中川一郎氏自殺・中学生ら浮浪者を襲う・戸塚ヨットスクール問題・NHK連続テレビ小説「おしん」人気を呼ぶ・行政改革大綱決まる・参院選初の比例代表制導入・社会党飛鳥田委員長辞意により石橋委員長選出・死刑囚再審の免田事件で無罪判決・日本海中部地震・山陰地方に集中豪雨・三宅島噴火・OPEC基準油価引き下げ・ウィリアムズバーグサミット開幕・大韓航空機撃墜事件・米原子力空母カールビンソン佐世保に入港・田中元首相に実刑判決・第37回衆議院総選挙・第2次中曽根内閣発足ほか約50分を視聴後、この時代を振りかえる話し合いをしました。





この2年間のうち、特に注目されるのは、「臨時行政調査会」(臨調)と「臨時行政改革推進審議会」(行革審)を発足させ、大きな成果をあげたことでしょう。ともに、会長は謹厳実直な人柄と行動力の持ち主で「ミスター合理化」「行革の鬼」といわれた「土光敏夫」でした。土光は、石川島播磨重工業の社長をへて、経営危機に陥っていた東芝の経営再建を依頼されて社長に就任し、経営危機を乗り越えた手腕の持主で、その後第4代経団連会長に就任し、「第1次石油ショック」の際には、財界が一体となって減量経営に成功していました。この時期の国家財政は、赤字公債の累積が60兆を越えていたため、放置すれば増税がさけられません。土光はあえて、「増税なき財政再建」「三公社(国鉄・専売公社・電電公社)民営化」などの路線を打ち出し、減量経営を政府に対して要求します。鈴木善幸内閣とそれにつづく中曽根康弘内閣もこれに応えて、大きな成果をあげたことは特筆されます。このあたりの流れは、「この時代の背景」をごらんください。

なお、後半は、メンバーの竹内光氏から提案があり、8月29日に実施された「参火会」8月臨時会『「TBS「世界遺産」放送20周年記念企画「世界遺産」20年の旅展』観賞、および懇親会についての報告がありました。参加者は、竹内光・小田靖忠・増田一也・増田道子・酒井義夫(敬称略)の5名でしたが、展示内容・4K画像のすばらしさなど、感動的なものがあり、来年1月からスタートする「世界遺産研究会」に役立たせる予定です。記念写真は、横浜中華街の一角にある「新聞の父・ジョセフ彦」記念碑前の参加者。





「この時代の背景」

2度にわたる「石油ショック」(第1次……昭和47~48年・第2次……54~55年)を難なく突破した日本経済は、好調な輸出をバネにして、昭和57・58年ともに、欧米先進国の苦戦に反し、国民総生産(GNP)は3~4%の安定成長を維持してきました。日本が、資本主義世界第2位の経済大国となったことは明らかで、特に、自動車・テレビ・VTRなどの電気製品を中心とする耐久消費財の輸出の伸びはすさまじく、アメリカをはじめヨーロッパ先進諸国との貿易摩擦が大きな問題になってきました。

自動車の生産で、昭和55年に日本は、年間自動車生産台数が1104万台となり、800万台のアメリカを大きく上回って、世界一の生産国になりましたが、その勢いはおとろえを見せず、昭和58年末には世界の生産量の25%を占めるに至ったばかりか、テレビの生産台数も20%、造船量では世界全体の半分(50%)と驚異的な数字となっています。

対ソ連と対決姿勢を見せるアメリカのレーガン政権は、経済大国となった日本に対し、大国の責任として軍事負担の増額を強く求め、日米軍事同盟関係の強化をせまりました。この圧力を受けて鈴木善幸首相は防衛費を特出せざるを得ず、財政再建の公約を果たせないこともあって、昭和57年10月、突然の退陣を表明したのでした。

自民党の後任総裁選びは、河本敏夫を推す岸信介ら反田中派に対し、田中角栄は中曽根康弘を推しました。中曽根総理・福田赳夫総裁という分離案も出ましたが、最終的な予備選挙の結果、田中元総理の強力な支援を得た中曽根が、圧倒的多数を獲得して当選をはたしました。そのため中曽根は、田中派系列から後藤田正晴、秦野章、竹下登ら7人を大量入閣させたため、「角影内閣」といわれる中曽根内閣が、57年11月に出現しました。

中曽根は、新任早々の58年1月に訪米すると、18日にレーガン米大統領との首脳会談を行って、「日米は、太平洋をはさんだ運命共同体」と発言。さらに翌日行われたワシントンポストの取材には「日本列島を不沈空母化する」と述べたことは、賛否両論となって話題となりました。また、中曽根のめざす防衛費のGNP1%枠突破は、自民党内にも抵抗があり、60兆円を越える赤字国債の利子負担という財政事情のもと、防衛費の増額は、大きな国内問題となりました。

それらが影響して、58年12月の衆議院選挙で、自民党は大きく議席を減らし、新自由クラブと連立することで、かろうじて政権を維持しました。こうして第2次中曽根内閣は発足しましたが、中曽根の政治手腕は、「ローテーション内閣」(田中角栄の辞任から、三木武夫・福田赳夫・大平正芳・鈴木善幸と、ほぼ2年ごとに首相がかわる)といわれてきた短命内閣とは一味違うものがありました。

その骨格となったのが、経団連の会長だった土光敏夫を会長に起用した「臨時行政調査会」(臨調)でした。臨調は、56年に中曽根が鈴木内閣の行政管理庁長官のとき、消費税導入が不可能になったなかで、財政再建のためには、思い切った行政改革を実現するほかはないと判断したことからスタートしたものでした。「増税なき財政再建」を旗印に掲げた土光臨調は、第1次石油ショック後に財界が実行した減量経営を、政府に対して要求したものでした。

土光臨調は、つぎの5点に要約できそうです。① 答申に対し、政府は必ず実行すること。② 徹底的な行政の合理化をはかり、小さな政府をめざすこと。③ 中央政府だけでなく、地方自治体を含む日本全体の行政合理化・簡素化をめざすこと。④ 3K(国債・国鉄・健康保険)の赤字解消や特殊法人を整理すること。⑤三公社(国鉄・専売公社・電電公社)の民営化への提案など、5次にわたる答申をして、いったん解散をしました。

そして58年7月、中曽根は首相の諮問機関として、こんどは「臨時行政改革推進審議会」(第1次行革審)を発足させ、再び土光敏夫を会長に、官業の民営移管を徹底的に行っていきました。その後の行革審は、3次にわたるものになりますが、電電公社・専売公社の民営化や国鉄の分割・民営化などは、次回以降の業績となります。

(文責・酒井義夫)



「参火会」9月例会 参加者
 (50音順・敬称略)


  • 小田靖忠  文新1966年卒
  • 草ヶ谷陽司 文新1960年卒
  • 郡山千里  文新1961年卒
  • 酒井猛夫  外西1962年卒
  • 酒井義夫   文新1966年卒
  • 菅原 勉  文英1966年卒
  • 谷内秀夫  文新1966年卒
  • 竹内 光  文新1962年卒
  • 反畑誠一   文新1960年卒
  • 増田一也   文新1966年卒
  • 増田道子  外西1968年卒
  • 向井昌子  文英1966年卒
  • 山本明夫  文新1971年卒

2017年7月20日木曜日

第34回「参火会」7月例会 (通算398回) 2017年7月18日(火) 実施

「現代史を考える集い」28回目  昭和55・56年「経済摩擦と防衛問題」





今回は、NHK制作DVD28巻目の映像──
大平内閣不信任可決衆院解散・大平首相選挙戦中に急死・衆参両院同時選挙後鈴木善幸内閣成立・自衛隊スパイ事件・伊藤律中国から帰国・早大商学部入試問題漏洩事件・富士見病院不正診療疑惑・静岡駅前地下街ガス爆発・新宿駅西口バス放火事件・川崎の受験浪人両親を殴殺・栃木県川治温泉ホテル火災・銀座で1億円拾得・浩宮徳仁親王成年式・モスクワオリンピック日本不参加決定・福岡国際マラソンで瀬古利彦3連勝・巨人軍長嶋監督辞任・巨人軍王貞治現役引退・歌手山口百恵引退結婚・鈴木首相訪米・ライシャワー元駐日大使各持ち込み発言・ミッドウェー横須賀に帰港・米原潜日昇丸当て逃げ事件・米艦隊秋田県でマスはえなわ切断事件・ロッキード裁判 榎本三恵子証言と小佐野賢治実刑判決・深川通り魔事件・三和銀行オンライン犯罪の伊藤素子マニラで逮捕・芸大教授ニセバイオリン鑑定書事件・敦賀原子力発電所放射能漏れ事件・北炭夕張炭鉱ガス突出事故・中国残留孤児来日・京大福井謙一教授ノーベル化学賞受賞決定・日劇さよなら公演ほか、約52分を視聴後、この時代を振りかえる話し合いをしました。





2度にわたる「オイルショック」を、政界・官界・財界・国民が一体となって工夫をこらし、高度成長時代の水ぶくれ体質を反省しながら、他国に先駆けてこれを乗り越えた日本。多くの先進諸国がもたつく中で、アメリカに次ぐ経済大国として地位を確立し、昭和55年には、自動車の生産台数で800万台のアメリカを大きく引き離し、1100万台を記録しました。その反面、日本製品の海外進出は、とくにアメリカの企業や政府・議会、国民の強い反発を招きました。日米関係はすでに占領時代から大きく変わって対等になっていましたが、その代償に、日本は貿易摩擦の解消と、防衛力増強を約束され、以後の日本経済に大きな問題をかかえこむことになりました。そのあたりの経緯は、下記「この時代の背景」をご覧ください。

なお、会の後半は、来年1月からスタートする「世界遺産」の勉強会に使用することになった本田技研系列のPSGが制作した「世界遺産」(全10巻・税込定価10280円)を、「参火会」のメンバーは、1セットに限り、特価5000円(宅配送料込)で購入できることが説明されました。また、10月に「参火会」が、「壱火会」の時代から通算400回となることから、「世界遺産」の勉強会を、通算400回記念企画と位置づけ、ソフィア会の会員に大いにPRすることを確認しあいました。



「この時代の背景」

昭和55年(1980年)に特筆されるのは、この年、日本の年間自動車生産台数が1104万台となって初めて1000万台を越えたことでしょう。800万台のアメリカを大きく上回って、世界一の生産国になった最大の要因は、その高性能と合理化によって実現された低価格にありました。その中心となったトヨタ自動車は、「ジャスト・イン・タイム」という方式(リーン方式)を生み出しました。これは、必要なときに必要な量だけ現場にあるようにすることで、工場内の原料・半製品・部品・製品の在庫をゼロに近づけ、在庫コストを削減するやり方でした。その際「カンバン」という通知状が使用されるため「カンバン方式」ともいわれます。





当時、ハーバード大学のエズラ・ヴォ―ゲルが「ジャパン・アズ・ナンバーワン」という本を著し、その翻訳書が日本でも70万部のベストセラーになって注目されましたが、自動車に限らず、ウォークマンの世界的なヒットを筆頭に、テープレコーダ・カメラ・パソコン・時計・電卓などの電化製品やハイテク製品などにも同様な工夫がなされている点を高く評価しました。また、優秀な官僚が政府に働きかけ、将来国際市場で競争力があるか否かを判断して、競争可能な産業については育成強化していること。アメリカのように、政権が交替するたびにエリート官僚が交替することなく、組織の中で生きがいを見出せるように活性化をはかっていること。各企業間、政府の各部門が公共利益のために協力して、国際貿易交渉やエネルギー政策などの問題に取り組んでいることなどを指摘して、日本人の自尊心をくすぐったことは否めない事実でしょう。こうしてその後しばらくは、「世界の機関車」といわれる好況がつづきました。

いっぽうわが国の政界は、依然混乱をきわめていました。前年(昭和54年)10月の衆議院選に敗北した大平内閣は、のちに「40日間抗争」といわれる自民党史上最大の分裂危機を、派閥均衡策と新自由クラブとの政策協定を行って11月に、なんとか第2次大平正芳内閣を発足させました。

ところが、昭和55年3月になって、派閥抗争が再燃しだしました。そのきっかけは、ロッキード事件の児玉・小佐野ルート公判で、検察が小佐野受領の20万ドルが浜田幸一議員にわたり、ラスペカスでのカジノ賭博の借金返済にあてられたと暴露したことからでした。自民党反主流の福田・三木派らは、野党が提出した浜田議員への国会証人喚問を支持しました。4月になって浜田は議員辞職をするものの、反主流派は「自民党刷新連盟」を結成して、主流派と対立します。そして5月16日、社会党が内閣不信任案を提出すると、反主流の自民党員は73名も欠席し、不信任案が成立するというハプニングがおこりました。

こうして衆議院は解散され、参議院選挙と同日の6月22日の総選挙が決定すると、衆参選挙公示の5月30日、大平首相はトラックに乗って街頭演説の陣頭指揮に立ったものの、夕方には激しい胸痛を訴えて入院し、狭心症と診断されました。一時は快方に向かったものの6月12日に病状が急変して死亡しますが、これが不幸中の幸いとなって、自民党は弔い合戦と勢いづき、野党は気勢を削がれて、自民党の圧勝となったのでした。

自民党の新総裁に選ばれたのは、大平派の盟友で、田中とも親密な鈴木善幸でした。鈴木は自民党の総務会長を10回もつとめたまとめ役で、「和の政治」を掲げ、三木内閣以来4年以上もつづいた党内抗争に終止符をうつことに成功します。しかし鈴木は、内政のベテランではあっても、外交には不慣れでした。

昭和56年(1981年)1月20日、「強いアメリカ」をアピールし、対ソ強硬策を主張する共和党のレーガンが、カーター前大統領に圧勝してアメリカ40代大統領に就任しました。当時のアメリカが、莫大な財政支出の増加と2ケタ台のインフレに苦しんでいたことから、日本との貿易摩擦に対しては、アメリカ国内の保守派や大企業などからのプレッシャーを受けて、鈴木内閣に対し貿易不均衡の解消姿勢をとり続けました。鈴木内閣は、日本車の対米輸出が前年240万台だったのを、年間168万台に自主規制せざるをえませんでした。それでも、日本車の優位は続いたため、電化製品やハイテク商品の不買運動など、アメリカの「ジャパン・バッシング」(日本たたき)は激しさを増していきます。





昭和56年5月、鈴木首相は渡米してレーガン大統領と会談し、初めて日米「同盟関係」を強調する共同声明を発表しました。日米関係は、すでに占領時代の上下関係から大きく変わって対等にはなっていましたが、その代償に防衛力増強を約束させられました。具体的には「シーレーン防衛」というもので、日本周辺数海里と航空帯1000海里(1850km)という洋上の「面」の部分を日本が責任を負うことを確約させられました。日本商船航路確保のためとしていましたが、実質的には、日本が米戦略ミサイル原潜の活動海域の確保を引き受けることを意味し、ソ連潜水艦を探知・捕捉することが海上自衛隊の重要任務となり、これまでの日米安保の枠が大きく広げられることになったのです。

(文責・酒井義夫)



「参火会」7月例会 参加者
 (50音順・敬称略)


  • 岩崎 学  文新1962年卒
  • 小田靖忠  文新1966年卒
  • 草ヶ谷陽司 文新1960年卒
  • 郡山千里  文新1961年卒
  • 酒井猛夫  外西1962年卒
  • 酒井義夫   文新1966年卒
  • 菅原 勉  文英1966年卒
  • 竹内 光  文新1962年卒
  • 反畑誠一   文新1960年卒
  • 増田一也   文新1966年卒
  • 増田道子  外西1968年卒
  • 深澤雅子  文独1977年卒
  • 向井昌子  文英1966年卒
  • 山本明夫  文新1971年卒

2017年6月21日水曜日

第33回「参火会」6月例会 (通算397回) 2017年6月20日(火) 実施

「現代史を考える集い」 27回目  昭和53・54年「景気低迷と省エネルギー」





今回は、NHK制作DVD27巻目の映像──
永大産業倒産・佐世保重工経営危機・原子力船「むつ」佐世保入港・成田空港反対派が空港管理室や管制室を占拠・宮城県沖地震・警官による女子大生絞殺事件・隅田川に花火復活・警視庁サラ金業者取調べ・嫌煙権運動始まる・青木功コルゲート世界マッチプレーで優勝・世界水泳選手権で藤原姉妹シンクロナイズド銀メダル・日本シリーズヤクルト初優勝・江川卓巨人軍入団発表で紛糾・日中平和友好条約調印と鄧小平中国副首相来日・大平正芳内閣成立・東京サミット開催(日 米 仏 英 伊 西独 加 EC各首脳参加)・米ダグラス-グラマン社航空機疑惑で海部八郎ら国会証人喚問・東京地検がKDDの密輸を告発・統一地方選挙 東京都知事選では保守勝利・第35回衆議院総選挙で自民党過半数を割る・三菱銀行大阪北畠支店に猟銃男押し入る・東名高速日本坂トンネル内で火災事故・千葉県神野寺のトラ2頭脱走・日本シリーズ広島カープ初優勝・世界柔道選手権で山下泰裕優勝・東京女子マラソン開催・NHK杯国際フィギュアスケート大会で渡部絵美優勝・国公立大学発の共通一次試験・SLが山口線に復活ほか、約52分を視聴しました。




その後、この時代を振りかえる話し合いをしました。足のひっぱりあいをする政治のドタバタに反し、「第1次オイルショック」をしっかり学習したことで、日本人の多くは、「第2次オイルショック」にそれほど驚くことなく、高度経済成長に慣れていい気になっていた自分たちのこれまでの生活を見直し、暴走をせず、節約と貯蓄にはげんで、世界的な石油ショックからいち早く脱することに成功したことを確認しました。(詳細は下記「この時代の背景」参照)

会の後半は、最近「12日間の南米旅行」から帰国したばかりの菅原勉氏に、その体験をUSBによる写真を投影しながら、わかりやすく語っていただきました。「ナスカの地上絵」をセスナ機上から見学し、ペルー第二の都市クスコから「マチュピチュ」の遺跡、世界三大瀑布のトップ「イグアスの滝」など、「世界遺産」の数々は、みんなを魅了するものでした。

そこで、来年1月から、12回にわたる勉強会のテーマに「世界遺産」が提案され、DVD「世界遺産 夢の旅100選+スペシャルバージョン(10巻)」「日本の世界遺産(2巻)」(各40~48分)の映像を見ながら話し合いをする企画が示され、出席メンバー全員から承認されました。

第1回目 ヨーロッパ篇① スペイン・イギリス・クロアチア
バルセロナのグエル公園とグエル邸・カサミラ/古都トレド/コルドバ歴史地区/セビーリャの大聖堂/グラナダのアルハンブラ/ロンドン塔/ドゥブロヴニク旧市街など

第2回目 ヨーロッパ篇② ベルギー・スイス・フランス・スウェーデン
ブリュッセルのグラン・プラス/ベルン旧市街/パリのセーヌ河岸/ヴェルサイユ宮殿と庭園/モン・サン・ミッシェルとその湾/アヴィニョン歴史地区など

第3回目 ヨーロッパ篇③ イタリア・バチカン・ギリシャ・オーストリア・ドイツ
ヴェネツィアその潟/フィレンツェ歴史地区/ビサのドゥオモ広場/バチカン市国/アテネのアクロポリス/シェーンブルン宮殿と庭園/ザルツブルク市街の歴史地区/ライン渓谷上流中部など

第4回目 ヨーロッパ篇④ ハンガリー・チェコ・ロシア・ノルウェー・デンマーク・トルコ・ポーランド
プラハ歴史地区/モスクワのクレムリンと赤の広場/ギョレメ国立公園とカッパドキアの岩石群/ワルシャワ歴史地区など

第5回 アジア篇① インド・インドネシア・タイ・カンボジア・スリランカ
タージ・マハル/ボロブドゥール寺院遺跡群/古都アユタヤと周辺歴史地区群/アンコール/古代都市シギリヤなど

第6回 アジア篇② ベトナム・中国・韓国・ネパール・マレーシア
フエの建造物群/万里の長城/マカオ歴史地区/カトマンズの谷/グヌン・ムル国立公園など

第7回 アフリカ・オセアニア・中近東篇① エジプト・モロッコ・マダガスカル・ヨルダン
メンフィスとその墓地遺跡/ギザからダハシュールまでのピラミッド地帯/マラケシュ旧市街/ペトラなど

第8回 アフリカ・オセアニア・中近東篇② タンザニア・オーストラリア・ニュージーランド・シリア・レバノン
ンゴロンゴロ自然保護区/グレート・バリア・リーフ/古都ダマスカス/バールベックなど

第9回 南北アメリカ篇① カナダ・アメリカ・メキシコ・グアテマラ・ペルー・カナダ
グランド・キャニオン国立公園/マチュ・ピチュ/ナスカとフマナ平原の地上絵など

第10回 南北アメリカ篇②
コスタリカ・ブラジル・アルゼンチン・パラグアイ・チリ・エクアドル・コロンビア
イグアス国立公園/ラパ・ヌイ国立公園(イースター島のモアイ像群)/ガラパゴス諸島など

第11回 日本の世界遺産①
古都京都の文化財/古都奈良の文化財/法隆寺地域の仏教建造物群/紀伊山地の霊場と参詣道/姫路城/日光の社寺/石見銀山遺跡とその文化的景観

第12回 日本の世界遺産②
白川郷と五箇山の合掌造り集落/原爆ドーム/琉球王国のグスク及び関連遺産群/厳島神社/白神山地/知床/屋久島




「この時代の背景」

昭和50年代の前半は、占領期以来の日米関係が、新しい時代に入った時期といえそうです。アメリカはベトナム戦争終了後も、財政赤字、国際収支の赤字に悩み続け、インフレと失業が深刻化していました。これに対し、日本は円高・ドル安のつづく不況に、財政再建が大きな課題となっていました。こうした中でアメリカは、対日貿易赤字の解消のため、日本の輸出規制と貿易自由化を求めただけでなく、防衛力の増強を要求し続けるなど、新たな様相を呈してきました。

昭和53年に入ると、日本とアメリカ、日本とEC間の経済関係閣僚会議が相次いで開かれ、福田赳夫政権は、貿易摩擦の解消、黒字減らしを約束させられました。また、この年のはじめから、永大産業、佐世保重工などの倒産が相次ぎ、内外ともに、経済環境は厳しさを増していきます。

53年8月、福田内閣は、田中内閣からの懸案だった「日中平和友好条約」に正式に調印したことで、政権は政治的な成功をおさめたかにみえました。ところが、10月になって総裁公選の予備選挙(党員・党友による初の予備選)が迫ってくると、最大派閥の田中派の応援をえた福田のライバルである大平正芳派のまきかえしは激しいものがあり、「赤ん坊や犬猫まで党費を納めて党友になった」といわれるほどでした。11月の開票結果は大平55万票、福田47万票と、大平が福田に大差をつけます。この予備選の結果をみた福田は、国会議員のみによる本選挙を辞退する決意を固めました。

こうして、昭和53年12月に第1次大平内閣が成立しますが、大平内閣も貿易摩擦、財政赤字に悩み続けるいっぽう、予備選以来の党内対立がいっそう深まりました。大平首相は、54年6月の「東京サミット」を無事に終えると、党内反主流派の福田・三木・中曽根派の解散反対を押し切って、10月に解散・総選挙を行います。しかし、一般消費税導入を選挙公約に掲げたのと、グラマン社の航空機疑惑事件、鉄道公団やKDDの不正事件が影響して、自民党は過半数を割り込みました。




この選挙敗北を首相の責任とした反主流三派は福田を首班指名の統一候補とし、大平・田中の主流派は大平を立てた議員総会では、大平135対福田125という僅差となりました。党内の分裂は公然のものとなりましたが、大平は、派閥均衡策と新自由クラブとの政策協定を行って11月に、なんとか第2次大平内閣を発足させたのでした。

今回(昭和53・54年)に特筆されるのは、「第2次オイルショック」が始まったことでしょう。54年の1月17日、国際石油資本のカルテックス社が日本に対し、原油供給の削減を通告してきたことが発端でした。その端緒は前年12月にOPEC(石油輸出国機構)が平均10%の値上げと、3か月ごとに原油価格の引き上げを通告してきたこと。また前年末には、日量500万バレルのイラン石油の生産・輸出が停止されたこと、さらに、イランのホメイニ師の指導による「イラン革命」が長期化すると予想されたことから、日本は再び大きなショックを受けました。

しかし日本は、前回の「第1次オイルショック」(昭和48~49年)で学習していました。深夜のテレビ番組放送の自粛・ガソリンスタンドの日曜祝日休業の復活に加え、官公庁・地方自治体の暖房制限や官用車の20%削減など「省エネ」の実行と、民間への協力を呼びかけました。日銀も、いち早く強い金融引き締め、それに応じて労働組合や企業も賃上げなどを抑え、労使協調路線を採用したことが功を奏しました。

54年1月の1バレル13.3ドルから、2年後には34ドルという大幅な値上げになったことで、石油化学産業に直接的打撃を与え、電力コストの上昇で重厚長大産業は後退するものの、アメリカをはじめ、イギリス、フランス、イタリアなどの先進諸国が大苦戦していたのに比べ、日本経済は、その影響を軽微なものにとどめました。また、日本の小型自動車がアメリカの大型車の生産をしのぐほどになり、省エネ・ハイテク化が重要視される「産業構造」の転換のきっかけとなった時代ともいえそうです。(文責・酒井義夫)



「参火会」6月例会 参加者
 (50音順・敬称略)


  • 岩崎 学  文新1962年卒
  • 植田康夫   文新1962年卒
  • 小田靖忠  文新1966年卒
  • 郡山千里  文新1961年卒
  • 酒井猛夫  外西1962年卒
  • 酒井義夫   文新1966年卒
  • 菅原 勉  文英1966年卒
  • 谷内秀夫  文新1966年卒
  • 反畑誠一   文新1960年卒
  • 増田一也   文新1966年卒
  • 増田道子  外西1968年卒
  • 山本明夫  文新1971年卒

2017年5月17日水曜日

第32回「参火会」5月例会 (通算396回) 2017年5月16日(火) 実施

「現代史を考える集い」 26回目  昭和51・52年「混迷の時代へ」




今回は、NHK制作DVD26巻目の映像──
ロッキード事件証人喚問・田中角栄前首相逮捕・児玉誉士夫邸にパイパー機突入・鬼頭判事補ニセ電話事件発覚・ソ連機ミグ25函館空港に強行着陸・台風17号で長良川決壊・山形県酒田市で大火・鹿児島に五つ子誕生・オリンピック モントリオール大会開催・具志堅用高が世界Jフライ級チャンピオンに・第34回衆議院選挙で自民惨敗し三木首相退陣・福田赳夫内閣成立・ロッキード事件丸紅ルート初公判・日ソ漁業交渉でソ連の200海里が北方領土にも適用・ワシントンで貿易不均衡問題に関する日米首脳会談・成田空港建設反対派の鉄塔撤去される・日本赤軍日航機をハイジャック・東京で青酸コーラ殺人事件・長崎でバスジャック・有珠山大爆発・王貞治756号ホームラン世界新記録・樋口久子が全米女子プロゴルフ優勝・ピンクレディー空前の人気ほか、約51分を視聴しました。

その後、この時代を振りかえる話し合いをする予定でした。ところが、新ソフィアンズクラブになってから、ソフィア会内部での連携がいまだにとれていないようで、DVDの視聴がうまく出来ず、25分遅れのスタートになってしまいました。そこで今回は、メンバーの竹内光氏に、ロッキード事件に敢然と対峙した三木首相についての印象を語ってもらいました。氏は、卒業後すぐに毎日新聞に入社、社会部記者・サンデー毎日編集部を経て、昭和51年に政治部に移ったばかりの時だったそうです。田中角栄前首相を逮捕に踏み切った三木武夫首相の「凄さ」に妙に感動した記憶がある半面、その人物が、ネクタイに汁をこぼしながらミカンを食べるその落差など、興味深い話を聞かせてくれました。今後も、20数年間にわたる政治部記者としての体験が聞けそうで、大いに期待したいものです。




「この時代の背景」

昭和51年は、「ロッキード事件」のニュースに始まりました。これは、アメリカ合衆国の航空機メーカー・ロッキード社が、日本への航空機売り込みにからむ疑獄事件です。三木武夫内閣の発足から1年あまりが経過したこの年の2月4日、ロッキード社の極秘資料が、アメリカの上院多国籍企業活動調査小委員会に誤配されたことから、同委員会は、「ロッキード社が、日本などに対する旅客機の売り込みのため、多額の違法な政治資金を渡していた」と公表したことがきっかけでした。

2日後の2月6日には、ロッキード社副会長のコーチャンが、同小委員会公聴会で、航空機売り込みのために各国(日本・西ドイツ・オランダ・イタリア・スウェーデンなど)の政府高官に贈賄したことを暴露しました。日本については 30億円をこえる資金を投じ、約20億円を右翼運動家の児玉誉士夫に支払い、その資金の一部は国際興業社主の小佐野賢治に渡ったこと、約10億円はロッキード社の輸入商社である丸紅に支払い、その資金は、日本政府関係者に渡ったであろうと証言。これにより、全日空へは旅客機トライスターの売り込みに成功し、防衛庁に対しては次期対潜哨戒機 P-3Cオライオン の採用を工作中と述べました。

この証言は日本の政界に衝撃を与え、全国民的な関心と憤激を呼び起こしました。三木首相は、すぐに衆議院予算委員会で真相を解明することを約束し、宮沢喜一外相を通じ、アメリカ側にいっさいの資料提供を要請、徹底究明を表明しました。まもなく、アメリカ上院から資料が提供されると、東京地検、警視庁・東京国税庁の捜査関係3庁が合同で、児玉宅・丸紅本社など29か所を一斉捜索したほか、コーチャンらに刑事責任を問わないことを条件に、米側に尋問を依頼して、多くの証言を得ました。

いっぽう自民党内では、三木に対する反感がまん延し、5月になると三木退陣を要求する動きが激しくなります(第1次三木おろし)。しかし三木は、椎名副総裁に「はしゃぎすぎ」といわれながらも、同情的なマスコミや国民の声を味方に、徹底解明を唱えてやみません。こうして、6月22日、丸紅前専務の大久保利春が逮捕され、続いて同じ丸紅前専務の伊藤宏、同社前社長檜山広、全日空社長若狭得治らが逮捕されます。

そして7月27日、ついに本丸ともいうべき元首相の田中角栄が、秘書の榎本敏夫とともに逮捕されました。その直接の容疑は、「外国為替及び外国貿易管理法」違反でした。総理大臣の権限を利用して、大型ジェット旅客機トライスター21機を全日空に売り込んだ成功報酬として、首相在任中の昭和48年8月から49年3月までに、5億円をロッキード社から受け取ったというものでした。




つづいて、元運輸大臣の橋本登美三郎、元運輸政務次官の佐藤孝行が逮捕されました。その後も捜査は続き、昭和51年10月15日の国会の中間報告によると、取り調べを受けたのは国会議員17人を含め民間人・官僚など約460人、うち逮捕された者18人、起訴された者16人に及びました。その間には、在日アメリカ大使館から本国へ、「これ以上ワシントンからの情報の提供がなければ、政府高官数人の辞職だけで済む。次期対潜哨戒機 P-3Cオライオンについての情報はいっさい出すな」という主旨の報告がされたことが、のちに見つかっています。

田中元首相が、8月17日に容疑否認のまま、保釈金2億円で保釈されると、「三木おろし運動」(第2次三木おろし)は、さらに激化しましたが、三木は、テレビをはじめとするマスコミへの発言をくりかえし、世論の支持によって、難局を乗り切ろうと孤軍奮闘しました。いっぽう、自民党内には、反主流6派による「挙党体制確立協議会」(挙党協)が結成され、次期総理に福田赳夫、大平正芳幹事長という方針を内定していました。

三木は、党内の分裂状態が修復できないまま解散権を行使できず、戦後唯一となる任期満了による衆議院議員総選挙を迎えました。1976年12月5日に行われた第34回衆議院選挙では、ロッキード事件の余波を受けて自民党が8議席を失うなど事実上敗北し、三木は敗北の責任を取って首相を辞任。大平派と福田派の「大福密約」により、後継には「三木おろし」のリーダーだった福田赳夫が就くことなりました。三木は退陣しましたが、三木の正義感・使命感がなければ、ロッキード事件は、うやむやのうちに終っていただけに、その頑張りは大いに評価したいものです。

それから数年は、「自民党戦国時代」ともいわれる、すさまじい怨念のこもった自民党内闘争が続きますが、その陰にはつねに「闇将軍」といわれる田中角栄の存在がありました。

いっぽう、昭和51年・52年には、お隣の中国に異変がありました。そのはじまりは、51年1月に、中国建国以来26年にわたり指導してきた周恩来総理の死去です。周恩来は文化革命(文革)で混乱した内政・外交を立て直すため、鄧小平ら古参幹部を復帰させたのをはじめ、国連代表権の回復、ニクソン訪中、日中国交正常化などを実現させてきたことで、国民に人気がありました。ところが2月になると、毛沢東の意をくんだ江青(毛の妻)ら4人組は、周恩来・鄧小平を批判する運動を執拗に展開し、4月5日には、周恩来追悼のために天安門広場に集まった民衆による四人組批判の運動を、当局が鎮圧する事件(天安門事件)がおき、鄧小平はその黒幕とされ、またも失脚してしまいました。

そして9月9日、こんどは、中国共産党の創立者のひとりであり、41年間にわたり党主席の地位にあった巨星毛沢東が死去したことにより、翌月には、江青ら四人組が逮捕され、昭和41年以来続いていた文革は終わりをつげました。正式には、翌52年7月の中国共産党第10期3中全会で、華国鋒の主席継承の追認に加え、鄧小平の復活と、江青ら四人組の党除名を決定。翌月、華国鋒が「文化革命の終結」を宣言してからでした。
(文責・酒井義夫)


「参火会」5月例会 参加者
 (50音順・敬称略)


  • 小田靖忠  文新1966年卒
  • 草ヶ谷陽司 文新1960年卒
  • 郡山千里  文新1961年卒
  • 酒井猛夫  外西1962年卒
  • 酒井義夫   文新1966年卒
  • 菅原 勉  文英1966年卒
  • 谷内秀夫  文新1966年卒
  • 竹内 光  文新1962年卒
  • 反畑誠一   文新1960年卒
  • 深澤雅子  文独1977年卒
  • 向井昌子  文英1966年卒
  • 山本明夫  文新1971年卒