2017年10月18日水曜日

第36回「参火会」10月例会 (通算400回) 2017年10月17日(火) 実施

「現代史を考える集い」30回目  昭和59・60年「貿易摩擦と情報化社会」




今回は、NHK制作DVD30巻目の映像──
江崎グリコ社長誘拐される・江崎グリコ製品販売中止相次ぐ・森永製菓も脅迫される・青酸入り森永製品ばらまかれる・グリコ-森永事件の犯人グループをとり逃がす・警察官の犯罪相次ぐ・三井三池-有明鉱事故・長野県西部地震・実用放送衛星打ち上げ・INSモデル実験スタート・世田谷で通信ケーブル火災・第三セクターによる三陸鉄道開業・エリマキトカゲブーム・コアラ来日・ロサンゼルスオリンピック・アフリカ飢餓深刻に・全斗煥大統領来日・第2次中曽根改造内閣発足・中曽根首相訪米・創政会発足・田中元首相入院・中曽根首相が外国製品のひとり100ドル購入の呼びかけ・日本電信電話(株)-日本たばこ産業(株)発足・新幹線上野~大宮間開業・国鉄仁杉総裁を更迭・国鉄の分割-民営化を答申・三光汽船倒産・グリコ-森永事件の犯人グループ不二家も脅迫・山口組が竹中組長ら射殺・豊田商事事件・投資ジャーナルの中江元会長ら逮捕・ロス疑惑三浦和義逮捕・横綱北の湖引退・つくば科学万博開幕・阪神タイガース日本一・「いじめ問題」全国に広がる・長野地すべり災害・日航ジャンボ機群馬県上野村御巣鷹山に墜落・中曽根首相靖国神社公式参拝・防衛費GNP1%枠問題・ソ連書記長にゴルバチョフ就任・米ソ首脳会談・第2次中曽根第2回改造内閣ほか約57分を視聴後、この時代を振りかえる話し合いをしました。




後半の30分ほどは、メンバーの山本明夫氏が最近、バヌアツという南太平洋にある国を訪れたそうで、太平洋戦争中の昭和18年に26歳で戦死した軍医だった伯父さまへの慰霊のためで、50年来の念願がかなったそうです。たくさんの写真を投影しながら、その探訪リポートをしていただきました。




なお、今回の「参火会」が、「壱火会」時代から通算400回となったこと、これを記念して来年1月から「世界遺産を考える集い」を行うこと、当面12回分の内容を配布しながら、これを機に、広くソフィアンに働きかけることを確認しあいました。





「この時代の背景」

今回の昭和59・60年という2年間も、前回の昭和57・58年に引き続き、日本経済は、絶好調を維持していました。昭和60年末の世界における日本の数字を見ると、家電製品生産額が世界の50%、新造船量同48%、電子部品生産額同36%、自動車生産台数同33%、コンピュータ生産額同26%という圧倒的な数字を筆頭に、日本が世界の輸出額の10%近いものとなったことで、「世界の一割国家」といわれるほどでした。それは、欧米の先進国との貿易摩擦が、さらに激しいものになっていることを意味していました。

この2年間とも、中曽根首相でしたが、中曽根は60年の4月にテレビで国民に一人100ドルの外国製品の購入を呼びかけるなど、「黒字減らし」の政策を追求し、内需拡大・市場開放などを実行しましたが、貿易不均衡はなかなか縮小しません。

当時、レーガン政権のアメリカは、ドル金利が20%にも達し、日本や西ドイツを中心に世界じゅうの投機マネーがアメリカへ集中していました。そして、輸出減少と輸入拡大により国際収支が大幅な赤字となり、財政赤字も累積していた(「双子の赤字」)に苦しんでいました。

それでもレーガン大統領は、ドルが高いことは、アメリカの強さを示すものと強がり、ドルが高すぎ、円が安すぎる(1ドル=240円前後)ことにはあまり気にかけていませんでした。ところがそうも言っておられず、10%程度のドルの切り下げを決意すると、昭和60年9月22日、ニューヨーク市のプラザホテルで開かれた先進5か国 (G5) 蔵相・中央銀行総裁会議で、アメリカのドル安政策に協力するという「プラザ合意」を発表しました。会議に出席したのは、西ドイツ財務相、フランス経済財政相、アメリカ財務長官、イギリス蔵相、日本の竹下登蔵相の5名でした。以後の世界経済に大きな影響を与えた歴史的な合意でしたが、会議自体はわずか20分程度でした。アメリカ経済が不調になると、世界経済への影響が大きいと、他の4か国がアメリカに同調したことによる声明でした。

「プラザ合意」の効果はてきめん。合意直後の9月24日には、大蔵省と日銀は大量のドルを売って円に両替すると、わずか1日で1ドルは242円から230円という、12円もの急激な円高ドル安になりました。円高基調はとどまるところを知らず、多少の変動はあったものの、1年後には150円台、2年後の年末には120円台と、わずか2年で、円はドルに対しほぼ2倍となりました。これが、バブルのきっかけになったことは、当時誰も予測することができませんでした。




なお、昭和60年に出版された『第三の波』(The Third Wave)が「情報化社会の到来」として、大きな話題になり、世界的なベストセラーになりました。アメリカの未来学者であるアルビン・トフラーが著したもので、人類はこれまでに大変革の波を2度経験してきており、第一の波は農業革命(人類が初めて農耕を開始した新石器革命)、第二の波は産業革命(「工業化社会」の到来)と呼ばれるものであり、これからは、第三の波としてコンピュータ、電話、テレビなどの情報革命による脱産業社会(「情報化社会」)が押し寄せてくる、すでに2~3年前から米・日・西独・英などに始まっていると述べています。インターネットが普及する十数年も前に、「情報化社会」を予見した慧眼に敬服します。
(文責・酒井義夫)



「参火会」10月例会 参加者
 (50音順・敬称略)


  • 岩崎 学  文新1962年卒
  • 小田靖忠  文新1966年卒
  • 草ヶ谷陽司 文新1960年卒
  • 郡山千里  文新1961年卒
  • 酒井猛夫  外西1962年卒
  • 酒井義夫   文新1966年卒
  • 菅原 勉  文英1966年卒
  • 竹内 光  文新1962年卒
  • 深澤雅子  文独1977年卒
  • 反畑誠一   文新1960年卒
  • 増田一也   文新1966年卒
  • 増田道子  外西1968年卒
  • 向井昌子  文英1966年卒
  • 山本明夫  文新1971年卒

2017年9月21日木曜日

第35回「参火会」9月例会 (通算399回) 2017年9月19日(火) 実施

「現代史を考える集い」29回目  昭和57・58年「東西緊張と黒字国日本」





今回は、NHK制作DVD29巻目の映像──
ホテルニュージャパン火災・日航機羽田沖に墜落・ミッテラン仏大統領訪日・サッチャー英首相訪日・東北および上越新幹線開業・臨時行政調査会(臨調)基本答申・教科書検定問題・長崎集中豪雨・IBM産業スパイ事件・三越事件・ゲーム機警察汚職事件・日本シリーズ西武初優勝・ソ連ブレジネフ書記長死去・鈴木首相退陣を表明・自民党総裁選挙四氏が立候補・中曽根康弘内閣発足・中曽根首相訪韓・中曽根首相訪米・中川一郎氏自殺・中学生ら浮浪者を襲う・戸塚ヨットスクール問題・NHK連続テレビ小説「おしん」人気を呼ぶ・行政改革大綱決まる・参院選初の比例代表制導入・社会党飛鳥田委員長辞意により石橋委員長選出・死刑囚再審の免田事件で無罪判決・日本海中部地震・山陰地方に集中豪雨・三宅島噴火・OPEC基準油価引き下げ・ウィリアムズバーグサミット開幕・大韓航空機撃墜事件・米原子力空母カールビンソン佐世保に入港・田中元首相に実刑判決・第37回衆議院総選挙・第2次中曽根内閣発足ほか約50分を視聴後、この時代を振りかえる話し合いをしました。





この2年間のうち、特に注目されるのは、「臨時行政調査会」(臨調)と「臨時行政改革推進審議会」(行革審)を発足させ、大きな成果をあげたことでしょう。ともに、会長は謹厳実直な人柄と行動力の持ち主で「ミスター合理化」「行革の鬼」といわれた「土光敏夫」でした。土光は、石川島播磨重工業の社長をへて、経営危機に陥っていた東芝の経営再建を依頼されて社長に就任し、経営危機を乗り越えた手腕の持主で、その後第4代経団連会長に就任し、「第1次石油ショック」の際には、財界が一体となって減量経営に成功していました。この時期の国家財政は、赤字公債の累積が60兆を越えていたため、放置すれば増税がさけられません。土光はあえて、「増税なき財政再建」「三公社(国鉄・専売公社・電電公社)民営化」などの路線を打ち出し、減量経営を政府に対して要求します。鈴木善幸内閣とそれにつづく中曽根康弘内閣もこれに応えて、大きな成果をあげたことは特筆されます。このあたりの流れは、「この時代の背景」をごらんください。

なお、後半は、メンバーの竹内光氏から提案があり、8月29日に実施された「参火会」8月臨時会『「TBS「世界遺産」放送20周年記念企画「世界遺産」20年の旅展』観賞、および懇親会についての報告がありました。参加者は、竹内光・小田靖忠・増田一也・増田道子・酒井義夫(敬称略)の5名でしたが、展示内容・4K画像のすばらしさなど、感動的なものがあり、来年1月からスタートする「世界遺産研究会」に役立たせる予定です。記念写真は、横浜中華街の一角にある「新聞の父・ジョセフ彦」記念碑前の参加者。





「この時代の背景」

2度にわたる「石油ショック」(第1次……昭和47~48年・第2次……54~55年)を難なく突破した日本経済は、好調な輸出をバネにして、昭和57・58年ともに、欧米先進国の苦戦に反し、国民総生産(GNP)は3~4%の安定成長を維持してきました。日本が、資本主義世界第2位の経済大国となったことは明らかで、特に、自動車・テレビ・VTRなどの電気製品を中心とする耐久消費財の輸出の伸びはすさまじく、アメリカをはじめヨーロッパ先進諸国との貿易摩擦が大きな問題になってきました。

自動車の生産で、昭和55年に日本は、年間自動車生産台数が1104万台となり、800万台のアメリカを大きく上回って、世界一の生産国になりましたが、その勢いはおとろえを見せず、昭和58年末には世界の生産量の25%を占めるに至ったばかりか、テレビの生産台数も20%、造船量では世界全体の半分(50%)と驚異的な数字となっています。

対ソ連と対決姿勢を見せるアメリカのレーガン政権は、経済大国となった日本に対し、大国の責任として軍事負担の増額を強く求め、日米軍事同盟関係の強化をせまりました。この圧力を受けて鈴木善幸首相は防衛費を特出せざるを得ず、財政再建の公約を果たせないこともあって、昭和57年10月、突然の退陣を表明したのでした。

自民党の後任総裁選びは、河本敏夫を推す岸信介ら反田中派に対し、田中角栄は中曽根康弘を推しました。中曽根総理・福田赳夫総裁という分離案も出ましたが、最終的な予備選挙の結果、田中元総理の強力な支援を得た中曽根が、圧倒的多数を獲得して当選をはたしました。そのため中曽根は、田中派系列から後藤田正晴、秦野章、竹下登ら7人を大量入閣させたため、「角影内閣」といわれる中曽根内閣が、57年11月に出現しました。

中曽根は、新任早々の58年1月に訪米すると、18日にレーガン米大統領との首脳会談を行って、「日米は、太平洋をはさんだ運命共同体」と発言。さらに翌日行われたワシントンポストの取材には「日本列島を不沈空母化する」と述べたことは、賛否両論となって話題となりました。また、中曽根のめざす防衛費のGNP1%枠突破は、自民党内にも抵抗があり、60兆円を越える赤字国債の利子負担という財政事情のもと、防衛費の増額は、大きな国内問題となりました。

それらが影響して、58年12月の衆議院選挙で、自民党は大きく議席を減らし、新自由クラブと連立することで、かろうじて政権を維持しました。こうして第2次中曽根内閣は発足しましたが、中曽根の政治手腕は、「ローテーション内閣」(田中角栄の辞任から、三木武夫・福田赳夫・大平正芳・鈴木善幸と、ほぼ2年ごとに首相がかわる)といわれてきた短命内閣とは一味違うものがありました。

その骨格となったのが、経団連の会長だった土光敏夫を会長に起用した「臨時行政調査会」(臨調)でした。臨調は、56年に中曽根が鈴木内閣の行政管理庁長官のとき、消費税導入が不可能になったなかで、財政再建のためには、思い切った行政改革を実現するほかはないと判断したことからスタートしたものでした。「増税なき財政再建」を旗印に掲げた土光臨調は、第1次石油ショック後に財界が実行した減量経営を、政府に対して要求したものでした。

土光臨調は、つぎの5点に要約できそうです。① 答申に対し、政府は必ず実行すること。② 徹底的な行政の合理化をはかり、小さな政府をめざすこと。③ 中央政府だけでなく、地方自治体を含む日本全体の行政合理化・簡素化をめざすこと。④ 3K(国債・国鉄・健康保険)の赤字解消や特殊法人を整理すること。⑤三公社(国鉄・専売公社・電電公社)の民営化への提案など、5次にわたる答申をして、いったん解散をしました。

そして58年7月、中曽根は首相の諮問機関として、こんどは「臨時行政改革推進審議会」(第1次行革審)を発足させ、再び土光敏夫を会長に、官業の民営移管を徹底的に行っていきました。その後の行革審は、3次にわたるものになりますが、電電公社・専売公社の民営化や国鉄の分割・民営化などは、次回以降の業績となります。

(文責・酒井義夫)



「参火会」9月例会 参加者
 (50音順・敬称略)


  • 小田靖忠  文新1966年卒
  • 草ヶ谷陽司 文新1960年卒
  • 郡山千里  文新1961年卒
  • 酒井猛夫  外西1962年卒
  • 酒井義夫   文新1966年卒
  • 菅原 勉  文英1966年卒
  • 谷内秀夫  文新1966年卒
  • 竹内 光  文新1962年卒
  • 反畑誠一   文新1960年卒
  • 増田一也   文新1966年卒
  • 増田道子  外西1968年卒
  • 向井昌子  文英1966年卒
  • 山本明夫  文新1971年卒

2017年7月20日木曜日

第34回「参火会」7月例会 (通算398回) 2017年7月18日(火) 実施

「現代史を考える集い」28回目  昭和55・56年「経済摩擦と防衛問題」





今回は、NHK制作DVD28巻目の映像──
大平内閣不信任可決衆院解散・大平首相選挙戦中に急死・衆参両院同時選挙後鈴木善幸内閣成立・自衛隊スパイ事件・伊藤律中国から帰国・早大商学部入試問題漏洩事件・富士見病院不正診療疑惑・静岡駅前地下街ガス爆発・新宿駅西口バス放火事件・川崎の受験浪人両親を殴殺・栃木県川治温泉ホテル火災・銀座で1億円拾得・浩宮徳仁親王成年式・モスクワオリンピック日本不参加決定・福岡国際マラソンで瀬古利彦3連勝・巨人軍長嶋監督辞任・巨人軍王貞治現役引退・歌手山口百恵引退結婚・鈴木首相訪米・ライシャワー元駐日大使各持ち込み発言・ミッドウェー横須賀に帰港・米原潜日昇丸当て逃げ事件・米艦隊秋田県でマスはえなわ切断事件・ロッキード裁判 榎本三恵子証言と小佐野賢治実刑判決・深川通り魔事件・三和銀行オンライン犯罪の伊藤素子マニラで逮捕・芸大教授ニセバイオリン鑑定書事件・敦賀原子力発電所放射能漏れ事件・北炭夕張炭鉱ガス突出事故・中国残留孤児来日・京大福井謙一教授ノーベル化学賞受賞決定・日劇さよなら公演ほか、約52分を視聴後、この時代を振りかえる話し合いをしました。





2度にわたる「オイルショック」を、政界・官界・財界・国民が一体となって工夫をこらし、高度成長時代の水ぶくれ体質を反省しながら、他国に先駆けてこれを乗り越えた日本。多くの先進諸国がもたつく中で、アメリカに次ぐ経済大国として地位を確立し、昭和55年には、自動車の生産台数で800万台のアメリカを大きく引き離し、1100万台を記録しました。その反面、日本製品の海外進出は、とくにアメリカの企業や政府・議会、国民の強い反発を招きました。日米関係はすでに占領時代から大きく変わって対等になっていましたが、その代償に、日本は貿易摩擦の解消と、防衛力増強を約束され、以後の日本経済に大きな問題をかかえこむことになりました。そのあたりの経緯は、下記「この時代の背景」をご覧ください。

なお、会の後半は、来年1月からスタートする「世界遺産」の勉強会に使用することになった本田技研系列のPSGが制作した「世界遺産」(全10巻・税込定価10280円)を、「参火会」のメンバーは、1セットに限り、特価5000円(宅配送料込)で購入できることが説明されました。また、10月に「参火会」が、「壱火会」の時代から通算400回となることから、「世界遺産」の勉強会を、通算400回記念企画と位置づけ、ソフィア会の会員に大いにPRすることを確認しあいました。



「この時代の背景」

昭和55年(1980年)に特筆されるのは、この年、日本の年間自動車生産台数が1104万台となって初めて1000万台を越えたことでしょう。800万台のアメリカを大きく上回って、世界一の生産国になった最大の要因は、その高性能と合理化によって実現された低価格にありました。その中心となったトヨタ自動車は、「ジャスト・イン・タイム」という方式(リーン方式)を生み出しました。これは、必要なときに必要な量だけ現場にあるようにすることで、工場内の原料・半製品・部品・製品の在庫をゼロに近づけ、在庫コストを削減するやり方でした。その際「カンバン」という通知状が使用されるため「カンバン方式」ともいわれます。





当時、ハーバード大学のエズラ・ヴォ―ゲルが「ジャパン・アズ・ナンバーワン」という本を著し、その翻訳書が日本でも70万部のベストセラーになって注目されましたが、自動車に限らず、ウォークマンの世界的なヒットを筆頭に、テープレコーダ・カメラ・パソコン・時計・電卓などの電化製品やハイテク製品などにも同様な工夫がなされている点を高く評価しました。また、優秀な官僚が政府に働きかけ、将来国際市場で競争力があるか否かを判断して、競争可能な産業については育成強化していること。アメリカのように、政権が交替するたびにエリート官僚が交替することなく、組織の中で生きがいを見出せるように活性化をはかっていること。各企業間、政府の各部門が公共利益のために協力して、国際貿易交渉やエネルギー政策などの問題に取り組んでいることなどを指摘して、日本人の自尊心をくすぐったことは否めない事実でしょう。こうしてその後しばらくは、「世界の機関車」といわれる好況がつづきました。

いっぽうわが国の政界は、依然混乱をきわめていました。前年(昭和54年)10月の衆議院選に敗北した大平内閣は、のちに「40日間抗争」といわれる自民党史上最大の分裂危機を、派閥均衡策と新自由クラブとの政策協定を行って11月に、なんとか第2次大平正芳内閣を発足させました。

ところが、昭和55年3月になって、派閥抗争が再燃しだしました。そのきっかけは、ロッキード事件の児玉・小佐野ルート公判で、検察が小佐野受領の20万ドルが浜田幸一議員にわたり、ラスペカスでのカジノ賭博の借金返済にあてられたと暴露したことからでした。自民党反主流の福田・三木派らは、野党が提出した浜田議員への国会証人喚問を支持しました。4月になって浜田は議員辞職をするものの、反主流派は「自民党刷新連盟」を結成して、主流派と対立します。そして5月16日、社会党が内閣不信任案を提出すると、反主流の自民党員は73名も欠席し、不信任案が成立するというハプニングがおこりました。

こうして衆議院は解散され、参議院選挙と同日の6月22日の総選挙が決定すると、衆参選挙公示の5月30日、大平首相はトラックに乗って街頭演説の陣頭指揮に立ったものの、夕方には激しい胸痛を訴えて入院し、狭心症と診断されました。一時は快方に向かったものの6月12日に病状が急変して死亡しますが、これが不幸中の幸いとなって、自民党は弔い合戦と勢いづき、野党は気勢を削がれて、自民党の圧勝となったのでした。

自民党の新総裁に選ばれたのは、大平派の盟友で、田中とも親密な鈴木善幸でした。鈴木は自民党の総務会長を10回もつとめたまとめ役で、「和の政治」を掲げ、三木内閣以来4年以上もつづいた党内抗争に終止符をうつことに成功します。しかし鈴木は、内政のベテランではあっても、外交には不慣れでした。

昭和56年(1981年)1月20日、「強いアメリカ」をアピールし、対ソ強硬策を主張する共和党のレーガンが、カーター前大統領に圧勝してアメリカ40代大統領に就任しました。当時のアメリカが、莫大な財政支出の増加と2ケタ台のインフレに苦しんでいたことから、日本との貿易摩擦に対しては、アメリカ国内の保守派や大企業などからのプレッシャーを受けて、鈴木内閣に対し貿易不均衡の解消姿勢をとり続けました。鈴木内閣は、日本車の対米輸出が前年240万台だったのを、年間168万台に自主規制せざるをえませんでした。それでも、日本車の優位は続いたため、電化製品やハイテク商品の不買運動など、アメリカの「ジャパン・バッシング」(日本たたき)は激しさを増していきます。





昭和56年5月、鈴木首相は渡米してレーガン大統領と会談し、初めて日米「同盟関係」を強調する共同声明を発表しました。日米関係は、すでに占領時代の上下関係から大きく変わって対等にはなっていましたが、その代償に防衛力増強を約束させられました。具体的には「シーレーン防衛」というもので、日本周辺数海里と航空帯1000海里(1850km)という洋上の「面」の部分を日本が責任を負うことを確約させられました。日本商船航路確保のためとしていましたが、実質的には、日本が米戦略ミサイル原潜の活動海域の確保を引き受けることを意味し、ソ連潜水艦を探知・捕捉することが海上自衛隊の重要任務となり、これまでの日米安保の枠が大きく広げられることになったのです。

(文責・酒井義夫)



「参火会」7月例会 参加者
 (50音順・敬称略)


  • 岩崎 学  文新1962年卒
  • 小田靖忠  文新1966年卒
  • 草ヶ谷陽司 文新1960年卒
  • 郡山千里  文新1961年卒
  • 酒井猛夫  外西1962年卒
  • 酒井義夫   文新1966年卒
  • 菅原 勉  文英1966年卒
  • 竹内 光  文新1962年卒
  • 反畑誠一   文新1960年卒
  • 増田一也   文新1966年卒
  • 増田道子  外西1968年卒
  • 深澤雅子  文独1977年卒
  • 向井昌子  文英1966年卒
  • 山本明夫  文新1971年卒

2017年6月21日水曜日

第33回「参火会」6月例会 (通算397回) 2017年6月20日(火) 実施

「現代史を考える集い」 27回目  昭和53・54年「景気低迷と省エネルギー」





今回は、NHK制作DVD27巻目の映像──
永大産業倒産・佐世保重工経営危機・原子力船「むつ」佐世保入港・成田空港反対派が空港管理室や管制室を占拠・宮城県沖地震・警官による女子大生絞殺事件・隅田川に花火復活・警視庁サラ金業者取調べ・嫌煙権運動始まる・青木功コルゲート世界マッチプレーで優勝・世界水泳選手権で藤原姉妹シンクロナイズド銀メダル・日本シリーズヤクルト初優勝・江川卓巨人軍入団発表で紛糾・日中平和友好条約調印と鄧小平中国副首相来日・大平正芳内閣成立・東京サミット開催(日 米 仏 英 伊 西独 加 EC各首脳参加)・米ダグラス-グラマン社航空機疑惑で海部八郎ら国会証人喚問・東京地検がKDDの密輸を告発・統一地方選挙 東京都知事選では保守勝利・第35回衆議院総選挙で自民党過半数を割る・三菱銀行大阪北畠支店に猟銃男押し入る・東名高速日本坂トンネル内で火災事故・千葉県神野寺のトラ2頭脱走・日本シリーズ広島カープ初優勝・世界柔道選手権で山下泰裕優勝・東京女子マラソン開催・NHK杯国際フィギュアスケート大会で渡部絵美優勝・国公立大学発の共通一次試験・SLが山口線に復活ほか、約52分を視聴しました。




その後、この時代を振りかえる話し合いをしました。足のひっぱりあいをする政治のドタバタに反し、「第1次オイルショック」をしっかり学習したことで、日本人の多くは、「第2次オイルショック」にそれほど驚くことなく、高度経済成長に慣れていい気になっていた自分たちのこれまでの生活を見直し、暴走をせず、節約と貯蓄にはげんで、世界的な石油ショックからいち早く脱することに成功したことを確認しました。(詳細は下記「この時代の背景」参照)

会の後半は、最近「12日間の南米旅行」から帰国したばかりの菅原勉氏に、その体験をUSBによる写真を投影しながら、わかりやすく語っていただきました。「ナスカの地上絵」をセスナ機上から見学し、ペルー第二の都市クスコから「マチュピチュ」の遺跡、世界三大瀑布のトップ「イグアスの滝」など、「世界遺産」の数々は、みんなを魅了するものでした。

そこで、来年1月から、12回にわたる勉強会のテーマに「世界遺産」が提案され、DVD「世界遺産 夢の旅100選+スペシャルバージョン(10巻)」「日本の世界遺産(2巻)」(各40~48分)の映像を見ながら話し合いをする企画が示され、出席メンバー全員から承認されました。

第1回目 ヨーロッパ篇① スペイン・イギリス・クロアチア
バルセロナのグエル公園とグエル邸・カサミラ/古都トレド/コルドバ歴史地区/セビーリャの大聖堂/グラナダのアルハンブラ/ロンドン塔/ドゥブロヴニク旧市街など

第2回目 ヨーロッパ篇② ベルギー・スイス・フランス・スウェーデン
ブリュッセルのグラン・プラス/ベルン旧市街/パリのセーヌ河岸/ヴェルサイユ宮殿と庭園/モン・サン・ミッシェルとその湾/アヴィニョン歴史地区など

第3回目 ヨーロッパ篇③ イタリア・バチカン・ギリシャ・オーストリア・ドイツ
ヴェネツィアその潟/フィレンツェ歴史地区/ビサのドゥオモ広場/バチカン市国/アテネのアクロポリス/シェーンブルン宮殿と庭園/ザルツブルク市街の歴史地区/ライン渓谷上流中部など

第4回目 ヨーロッパ篇④ ハンガリー・チェコ・ロシア・ノルウェー・デンマーク・トルコ・ポーランド
プラハ歴史地区/モスクワのクレムリンと赤の広場/ギョレメ国立公園とカッパドキアの岩石群/ワルシャワ歴史地区など

第5回 アジア篇① インド・インドネシア・タイ・カンボジア・スリランカ
タージ・マハル/ボロブドゥール寺院遺跡群/古都アユタヤと周辺歴史地区群/アンコール/古代都市シギリヤなど

第6回 アジア篇② ベトナム・中国・韓国・ネパール・マレーシア
フエの建造物群/万里の長城/マカオ歴史地区/カトマンズの谷/グヌン・ムル国立公園など

第7回 アフリカ・オセアニア・中近東篇① エジプト・モロッコ・マダガスカル・ヨルダン
メンフィスとその墓地遺跡/ギザからダハシュールまでのピラミッド地帯/マラケシュ旧市街/ペトラなど

第8回 アフリカ・オセアニア・中近東篇② タンザニア・オーストラリア・ニュージーランド・シリア・レバノン
ンゴロンゴロ自然保護区/グレート・バリア・リーフ/古都ダマスカス/バールベックなど

第9回 南北アメリカ篇① カナダ・アメリカ・メキシコ・グアテマラ・ペルー・カナダ
グランド・キャニオン国立公園/マチュ・ピチュ/ナスカとフマナ平原の地上絵など

第10回 南北アメリカ篇②
コスタリカ・ブラジル・アルゼンチン・パラグアイ・チリ・エクアドル・コロンビア
イグアス国立公園/ラパ・ヌイ国立公園(イースター島のモアイ像群)/ガラパゴス諸島など

第11回 日本の世界遺産①
古都京都の文化財/古都奈良の文化財/法隆寺地域の仏教建造物群/紀伊山地の霊場と参詣道/姫路城/日光の社寺/石見銀山遺跡とその文化的景観

第12回 日本の世界遺産②
白川郷と五箇山の合掌造り集落/原爆ドーム/琉球王国のグスク及び関連遺産群/厳島神社/白神山地/知床/屋久島




「この時代の背景」

昭和50年代の前半は、占領期以来の日米関係が、新しい時代に入った時期といえそうです。アメリカはベトナム戦争終了後も、財政赤字、国際収支の赤字に悩み続け、インフレと失業が深刻化していました。これに対し、日本は円高・ドル安のつづく不況に、財政再建が大きな課題となっていました。こうした中でアメリカは、対日貿易赤字の解消のため、日本の輸出規制と貿易自由化を求めただけでなく、防衛力の増強を要求し続けるなど、新たな様相を呈してきました。

昭和53年に入ると、日本とアメリカ、日本とEC間の経済関係閣僚会議が相次いで開かれ、福田赳夫政権は、貿易摩擦の解消、黒字減らしを約束させられました。また、この年のはじめから、永大産業、佐世保重工などの倒産が相次ぎ、内外ともに、経済環境は厳しさを増していきます。

53年8月、福田内閣は、田中内閣からの懸案だった「日中平和友好条約」に正式に調印したことで、政権は政治的な成功をおさめたかにみえました。ところが、10月になって総裁公選の予備選挙(党員・党友による初の予備選)が迫ってくると、最大派閥の田中派の応援をえた福田のライバルである大平正芳派のまきかえしは激しいものがあり、「赤ん坊や犬猫まで党費を納めて党友になった」といわれるほどでした。11月の開票結果は大平55万票、福田47万票と、大平が福田に大差をつけます。この予備選の結果をみた福田は、国会議員のみによる本選挙を辞退する決意を固めました。

こうして、昭和53年12月に第1次大平内閣が成立しますが、大平内閣も貿易摩擦、財政赤字に悩み続けるいっぽう、予備選以来の党内対立がいっそう深まりました。大平首相は、54年6月の「東京サミット」を無事に終えると、党内反主流派の福田・三木・中曽根派の解散反対を押し切って、10月に解散・総選挙を行います。しかし、一般消費税導入を選挙公約に掲げたのと、グラマン社の航空機疑惑事件、鉄道公団やKDDの不正事件が影響して、自民党は過半数を割り込みました。




この選挙敗北を首相の責任とした反主流三派は福田を首班指名の統一候補とし、大平・田中の主流派は大平を立てた議員総会では、大平135対福田125という僅差となりました。党内の分裂は公然のものとなりましたが、大平は、派閥均衡策と新自由クラブとの政策協定を行って11月に、なんとか第2次大平内閣を発足させたのでした。

今回(昭和53・54年)に特筆されるのは、「第2次オイルショック」が始まったことでしょう。54年の1月17日、国際石油資本のカルテックス社が日本に対し、原油供給の削減を通告してきたことが発端でした。その端緒は前年12月にOPEC(石油輸出国機構)が平均10%の値上げと、3か月ごとに原油価格の引き上げを通告してきたこと。また前年末には、日量500万バレルのイラン石油の生産・輸出が停止されたこと、さらに、イランのホメイニ師の指導による「イラン革命」が長期化すると予想されたことから、日本は再び大きなショックを受けました。

しかし日本は、前回の「第1次オイルショック」(昭和48~49年)で学習していました。深夜のテレビ番組放送の自粛・ガソリンスタンドの日曜祝日休業の復活に加え、官公庁・地方自治体の暖房制限や官用車の20%削減など「省エネ」の実行と、民間への協力を呼びかけました。日銀も、いち早く強い金融引き締め、それに応じて労働組合や企業も賃上げなどを抑え、労使協調路線を採用したことが功を奏しました。

54年1月の1バレル13.3ドルから、2年後には34ドルという大幅な値上げになったことで、石油化学産業に直接的打撃を与え、電力コストの上昇で重厚長大産業は後退するものの、アメリカをはじめ、イギリス、フランス、イタリアなどの先進諸国が大苦戦していたのに比べ、日本経済は、その影響を軽微なものにとどめました。また、日本の小型自動車がアメリカの大型車の生産をしのぐほどになり、省エネ・ハイテク化が重要視される「産業構造」の転換のきっかけとなった時代ともいえそうです。(文責・酒井義夫)



「参火会」6月例会 参加者
 (50音順・敬称略)


  • 岩崎 学  文新1962年卒
  • 植田康夫   文新1962年卒
  • 小田靖忠  文新1966年卒
  • 郡山千里  文新1961年卒
  • 酒井猛夫  外西1962年卒
  • 酒井義夫   文新1966年卒
  • 菅原 勉  文英1966年卒
  • 谷内秀夫  文新1966年卒
  • 反畑誠一   文新1960年卒
  • 増田一也   文新1966年卒
  • 増田道子  外西1968年卒
  • 山本明夫  文新1971年卒

2017年5月17日水曜日

第32回「参火会」5月例会 (通算396回) 2017年5月16日(火) 実施

「現代史を考える集い」 26回目  昭和51・52年「混迷の時代へ」




今回は、NHK制作DVD26巻目の映像──
ロッキード事件証人喚問・田中角栄前首相逮捕・児玉誉士夫邸にパイパー機突入・鬼頭判事補ニセ電話事件発覚・ソ連機ミグ25函館空港に強行着陸・台風17号で長良川決壊・山形県酒田市で大火・鹿児島に五つ子誕生・オリンピック モントリオール大会開催・具志堅用高が世界Jフライ級チャンピオンに・第34回衆議院選挙で自民惨敗し三木首相退陣・福田赳夫内閣成立・ロッキード事件丸紅ルート初公判・日ソ漁業交渉でソ連の200海里が北方領土にも適用・ワシントンで貿易不均衡問題に関する日米首脳会談・成田空港建設反対派の鉄塔撤去される・日本赤軍日航機をハイジャック・東京で青酸コーラ殺人事件・長崎でバスジャック・有珠山大爆発・王貞治756号ホームラン世界新記録・樋口久子が全米女子プロゴルフ優勝・ピンクレディー空前の人気ほか、約51分を視聴しました。

その後、この時代を振りかえる話し合いをする予定でした。ところが、新ソフィアンズクラブになってから、ソフィア会内部での連携がいまだにとれていないようで、DVDの視聴がうまく出来ず、25分遅れのスタートになってしまいました。そこで今回は、メンバーの竹内光氏に、ロッキード事件に敢然と対峙した三木首相についての印象を語ってもらいました。氏は、卒業後すぐに毎日新聞に入社、社会部記者・サンデー毎日編集部を経て、昭和51年に政治部に移ったばかりの時だったそうです。田中角栄前首相を逮捕に踏み切った三木武夫首相の「凄さ」に妙に感動した記憶がある半面、その人物が、ネクタイに汁をこぼしながらミカンを食べるその落差など、興味深い話を聞かせてくれました。今後も、20数年間にわたる政治部記者としての体験が聞けそうで、大いに期待したいものです。




「この時代の背景」

昭和51年は、「ロッキード事件」のニュースに始まりました。これは、アメリカ合衆国の航空機メーカー・ロッキード社が、日本への航空機売り込みにからむ疑獄事件です。三木武夫内閣の発足から1年あまりが経過したこの年の2月4日、ロッキード社の極秘資料が、アメリカの上院多国籍企業活動調査小委員会に誤配されたことから、同委員会は、「ロッキード社が、日本などに対する旅客機の売り込みのため、多額の違法な政治資金を渡していた」と公表したことがきっかけでした。

2日後の2月6日には、ロッキード社副会長のコーチャンが、同小委員会公聴会で、航空機売り込みのために各国(日本・西ドイツ・オランダ・イタリア・スウェーデンなど)の政府高官に贈賄したことを暴露しました。日本については 30億円をこえる資金を投じ、約20億円を右翼運動家の児玉誉士夫に支払い、その資金の一部は国際興業社主の小佐野賢治に渡ったこと、約10億円はロッキード社の輸入商社である丸紅に支払い、その資金は、日本政府関係者に渡ったであろうと証言。これにより、全日空へは旅客機トライスターの売り込みに成功し、防衛庁に対しては次期対潜哨戒機 P-3Cオライオン の採用を工作中と述べました。

この証言は日本の政界に衝撃を与え、全国民的な関心と憤激を呼び起こしました。三木首相は、すぐに衆議院予算委員会で真相を解明することを約束し、宮沢喜一外相を通じ、アメリカ側にいっさいの資料提供を要請、徹底究明を表明しました。まもなく、アメリカ上院から資料が提供されると、東京地検、警視庁・東京国税庁の捜査関係3庁が合同で、児玉宅・丸紅本社など29か所を一斉捜索したほか、コーチャンらに刑事責任を問わないことを条件に、米側に尋問を依頼して、多くの証言を得ました。

いっぽう自民党内では、三木に対する反感がまん延し、5月になると三木退陣を要求する動きが激しくなります(第1次三木おろし)。しかし三木は、椎名副総裁に「はしゃぎすぎ」といわれながらも、同情的なマスコミや国民の声を味方に、徹底解明を唱えてやみません。こうして、6月22日、丸紅前専務の大久保利春が逮捕され、続いて同じ丸紅前専務の伊藤宏、同社前社長檜山広、全日空社長若狭得治らが逮捕されます。

そして7月27日、ついに本丸ともいうべき元首相の田中角栄が、秘書の榎本敏夫とともに逮捕されました。その直接の容疑は、「外国為替及び外国貿易管理法」違反でした。総理大臣の権限を利用して、大型ジェット旅客機トライスター21機を全日空に売り込んだ成功報酬として、首相在任中の昭和48年8月から49年3月までに、5億円をロッキード社から受け取ったというものでした。




つづいて、元運輸大臣の橋本登美三郎、元運輸政務次官の佐藤孝行が逮捕されました。その後も捜査は続き、昭和51年10月15日の国会の中間報告によると、取り調べを受けたのは国会議員17人を含め民間人・官僚など約460人、うち逮捕された者18人、起訴された者16人に及びました。その間には、在日アメリカ大使館から本国へ、「これ以上ワシントンからの情報の提供がなければ、政府高官数人の辞職だけで済む。次期対潜哨戒機 P-3Cオライオンについての情報はいっさい出すな」という主旨の報告がされたことが、のちに見つかっています。

田中元首相が、8月17日に容疑否認のまま、保釈金2億円で保釈されると、「三木おろし運動」(第2次三木おろし)は、さらに激化しましたが、三木は、テレビをはじめとするマスコミへの発言をくりかえし、世論の支持によって、難局を乗り切ろうと孤軍奮闘しました。いっぽう、自民党内には、反主流6派による「挙党体制確立協議会」(挙党協)が結成され、次期総理に福田赳夫、大平正芳幹事長という方針を内定していました。

三木は、党内の分裂状態が修復できないまま解散権を行使できず、戦後唯一となる任期満了による衆議院議員総選挙を迎えました。1976年12月5日に行われた第34回衆議院選挙では、ロッキード事件の余波を受けて自民党が8議席を失うなど事実上敗北し、三木は敗北の責任を取って首相を辞任。大平派と福田派の「大福密約」により、後継には「三木おろし」のリーダーだった福田赳夫が就くことなりました。三木は退陣しましたが、三木の正義感・使命感がなければ、ロッキード事件は、うやむやのうちに終っていただけに、その頑張りは大いに評価したいものです。

それから数年は、「自民党戦国時代」ともいわれる、すさまじい怨念のこもった自民党内闘争が続きますが、その陰にはつねに「闇将軍」といわれる田中角栄の存在がありました。

いっぽう、昭和51年・52年には、お隣の中国に異変がありました。そのはじまりは、51年1月に、中国建国以来26年にわたり指導してきた周恩来総理の死去です。周恩来は文化革命(文革)で混乱した内政・外交を立て直すため、鄧小平ら古参幹部を復帰させたのをはじめ、国連代表権の回復、ニクソン訪中、日中国交正常化などを実現させてきたことで、国民に人気がありました。ところが2月になると、毛沢東の意をくんだ江青(毛の妻)ら4人組は、周恩来・鄧小平を批判する運動を執拗に展開し、4月5日には、周恩来追悼のために天安門広場に集まった民衆による四人組批判の運動を、当局が鎮圧する事件(天安門事件)がおき、鄧小平はその黒幕とされ、またも失脚してしまいました。

そして9月9日、こんどは、中国共産党の創立者のひとりであり、41年間にわたり党主席の地位にあった巨星毛沢東が死去したことにより、翌月には、江青ら四人組が逮捕され、昭和41年以来続いていた文革は終わりをつげました。正式には、翌52年7月の中国共産党第10期3中全会で、華国鋒の主席継承の追認に加え、鄧小平の復活と、江青ら四人組の党除名を決定。翌月、華国鋒が「文化革命の終結」を宣言してからでした。
(文責・酒井義夫)


「参火会」5月例会 参加者
 (50音順・敬称略)


  • 小田靖忠  文新1966年卒
  • 草ヶ谷陽司 文新1960年卒
  • 郡山千里  文新1961年卒
  • 酒井猛夫  外西1962年卒
  • 酒井義夫   文新1966年卒
  • 菅原 勉  文英1966年卒
  • 谷内秀夫  文新1966年卒
  • 竹内 光  文新1962年卒
  • 反畑誠一   文新1960年卒
  • 深澤雅子  文独1977年卒
  • 向井昌子  文英1966年卒
  • 山本明夫  文新1971年卒

2017年4月19日水曜日

第31回「参火会」4月例会 (通算395回) 2017年4月18日(火) 実施

「現代史を考える集い」 25回目   昭和49・50年「高度成長の終焉」





今回は、NHK制作DVD25巻目の映像──
狂乱物価とインフレに悲鳴をあげる主婦たち・東京の三菱重工ビル爆破される(以後企業爆破事件続く)・原子力船「むつ」放射能もれ発見・サリドマイド訴訟和解成立・伊豆半島沖地震・台風16号襲来し東京多摩川の堤防が決壊・元陸軍少尉小野田寛郎ルパング島で救出される・佐藤前首相がノーベル平和賞受賞・モナリザ展開催・北の湖が史上最年少で横綱に・巨人軍の長島茂雄引退・フォード大統領来日・田中首相辞意表明・三木武夫内閣成立・南ベトナム政府軍無条件降伏・三木首相訪米し首脳会談・大阪高裁が大阪空港公害訴訟で住民側全面勝訴の判決・沖縄海洋博開催・新幹線が博多まで開通・国際婦人年世界会議がメキシコで開催・日本女子登山隊エベレスト初登頂・小林則子「リブ号」で太平洋単独無寄港横断・沢松和子ウインブルドンテニスでダブルス優勝・エリザベス女王来日・天皇と皇后が訪米ほか、約48分を視聴しました。

その後、この時代を振り返る話し合いをする予定でしたが、「ソフィアタワー新6号館」に移転した「ソフィアンズクラブ」のルールが大幅に変わり、、その説明や、新ルールにどう対応していくべきか、これからの「参火会」はどうあるべきかについての話し合いに終始しました。そこで、この時代についてのあらましや感想は、酒井義夫が以下に記述しましたので、参考にしてください。


「この時代の背景」

昭和48年10月、突如としておこった「石油ショック」から、49年1月には原油価格は約4倍の値上がりをし、冬を迎えてガソリン代や灯油の大幅値上げなど、物価の高騰、物不足、インフレが深刻化しました。物価高騰は、2月にピークに達して、卸売物価・消費者物価ともに前年同月比30%を越えるという異常事態となりました。戦後まもない時期をのぞけば、戦後最悪の状況となりました。ここ10数年間という長期にわたって、前年比10%もの成長をとげてきた日本経済も、一転して不況の真っただ中に陥ってしまったのです。

「日本列島改造論」を表看板にした田中角栄総理に大いに期待した国民も、依然として放漫な財政支出をしようとする姿勢に批判を浴びせるようになり、田中内閣の支持率は急速に低下していきました。同年7月、おりからの参議院選挙に命運をかけた田中は、ぼう大な選挙資金を使って全国を遊説し、全国区にタレント候補ら35人の候補者を立て、企業グループや有力会社などを割り当てる「企業ぐるみ選挙」という新戦術を行いました。しかし結果は、自民党の惨敗に終わり、参議院の与野党の勢力は、ほぼ伯仲することになりました。露骨ともいえる金権選挙と、強引な行動に怒り、自民党内の田中批判は、椎名副総裁を会長とする調査会にゆだねられました。

いっぽう、田中総理が金権選挙に使った資金は、500億円とも1000億円ともいわれ、この資金はどこから捻出したものなのか、この出どころを解明した人物が現れました。それが、10月10日に発売された「文藝春秋」11月号に掲載された「田中角栄研究━━その金脈と人脈」で、ジャーナリストの立花隆が執筆したものでした。「ユーレイ会社」を設立しては土地を買い占め、タイミングよく売りぬくしくみ、巧妙な政治献金ルートのからくりを、一つずつていねいに調べ上げたものでした。





この記事が掲載された直後に開かれた、日本外国特派員協会での田中総理講演会で、外国人記者から質問が集中し、いっきに大ニュースとなります。以後、マスコミと野党の集中砲火を浴びて政局は大混乱となり、11月26日に辞意を表明すると、まもなく椎名調査会は三木武夫を後任総裁に指名しました。こうして、田中内閣は12月9日に総辞職して2年5か月にわたる政権の座を降りたのでした。三木は、「クリーン三木」といわれるように、その政治姿勢は清潔で、田中政治を否定するかのように金のかかる政治を全廃するという政界浄化を看板に掲げました。

日本経済は、昭和50年に入ると、「石油ショック」に対処するための企業の動きが活発になってきました。企業の減量経営も本格化し、銀行からの借入金をできるだけ返済することによって金利負担の軽減をはかりました。また、人件費の節約、残業時間のカット、パート労働者の削減、配置転換、やがて希望退職者を募るなど、いちだんと厳しいものになっていきます。

いっぽう工場では、コンピューター技術を利用した(ME…マイクロエレクトロニクス)化やロボット化を急速に進展させていきます。これまでの鉄鋼や石油産業といった重産業に対し、半導体など新技術によるソフト産業に力を投入し、世界に先駆けて次々と新商品を登場させていきました。いわゆる情報化社会の出発で、コピー機、ファクシミリ、ワープロなどを多くの企業が採用、パーソナル電卓、家庭用VTRもこのころに普及させています。

今や、私たちの生活に欠かせない「コンビニ」も、昭和49年5月に、イトーヨーカドーと提携したセブンイレブンの1号店の開店からスタートしました。年中無休で長時間営業を特色とし、利便性を最大限に追求したミニ・スーパーは、共働き世帯や単身者、若者の生活スタイルにマッチしたのでしょう。以後、国民の生活そのものを全体的に変えていきました。後続のダイエー系のローソン、西武セゾン系のファミリーマートとともに、都市生活には欠かせない存在となっていきました。

あらためて昭和49年・50年という2年間を考えるとき、「石油ショック」といった外部的な要因により、たちまち窮地に立ってしまうことを知った日本人が、高度成長の水膨れ体質を反省し、やせガマンをしながら、「新しく生きる道」を探って、その方向性を見つけ出しかけた時代だったような気がします。

なお、当日は、これまでのルールが一変したため、その対応をどうしたらよいかに酒井の頭の中は終始混乱、撮ったはずの会場写真が見当たらず、出席したくれた皆さまに深くお詫びを申し上げます。


「参火会」4月例会 参加者
 (50音順・敬称略)


  • 岩崎 学 文新1962年卒
  • 小田靖忠 文新1966年卒
  • 草ヶ谷陽司文新1960年卒
  • 郡山千里 文新1961年卒
  • 酒井猛夫 外西1962年卒
  • 酒井義夫  文新1966年卒
  • 菅原 勉 文英1966年卒
  • 竹内  光 文新1962年卒
  • 谷内秀夫 文新1966年卒
  • 反畑誠一  文新1960年卒
  • 増田一也  文新1966年卒
  • 増田道子 外西1968年卒
  • 山本明夫 文新1971年卒

2017年1月18日水曜日

第30回「参火会」1月例会 (通算394回) 2017年1月17日(火) 実施

「現代史を考える集い」 24回目  昭和47・48年 「列島改造」とオイルショック





今回は、NHK制作DVD24巻目の映像──
沖縄復帰・沖縄県発足、佐藤首相退陣表明、佐藤内閣総辞職・田中角栄内閣成立、田中首相中国訪問、北京で日中国交正常化の共同声明、上野動物園パンダ公開、妙義山中で連合赤軍最高幹部永田洋子と森恒夫を逮捕、連合赤軍軽井沢の浅間山荘に籠城(浅間山荘事件)、大阪千日デパートビル火災、北陸トンネルで列車火災、元日本兵横井庄一グアム島で発見、飛鳥高松塚古墳で極彩色壁画発見、冬季オリンピック札幌大会開幕、ミュンヘンオリンピック開会、西独ミュンヘン五輪にアラブゲリラ侵入、勤労順法闘争中の上尾駅で乗客1万人暴動、水俣裁判患者側勝訴、衆議院本会議で水銀・PCB問題で緊急質問・政府はPCB中止を言明、日航機オランダ上空でハイジャックされる、
韓国新民党元大統領候補の金大中氏が東京で誘拐される、熊本の大洋デパート火災、東京渋谷駅のコインロッカーから嬰児死体発見、石巻市の菊田医師新生児を実子として斡旋の事実を公表、江崎玲於奈博士ノーベル物理学賞受賞、大相撲訪中団出発、日本シリーズで巨人V9、第40回ダービーで常勝のハイセイコーを破ってタケホープ優勝、OAPEC緊急閣僚会議で石油の生産削減・供給制限決定ほか約54分を視聴後、この時代をふりかえる話し合いをいたしました。





「この時代の背景」

昭和47・48年は、戦後史の中でも特筆される2年間でした。まずあげなくてはならないのは、歴史的といってもいい「沖縄返還」を花道に、日本の内閣史上7年8か月という最長記録を続けた佐藤首相が引退したことでしょう。

佐藤は、池田勇人に代わって昭和39年11月に初めて組閣したときから、「沖縄返還」を最大の政治課題にあげました。40年1月に訪米した時、当時のジョンソン大統領に沖縄返還の申し入れをし、8月に現職首相として初めて沖縄入りして、「沖縄の祖国復帰がない限り、日本の戦後は終わらない」と言明しました。こうして、43年から「沖縄返還に関する日米協議」が始まり、44年の佐藤・ニクソン会談で、47年の「核抜き本土並み返還」が決まって、47年5月15日、沖縄は27年ぶりに日本復帰したのでした。

その間には、さまざまな難題がありました。その焦点になったのは、アメリカの持つ核兵器 (昭和40年前後に800発前後沖縄に存在) の扱いをどうするかということでした。佐藤は、「核兵器を持たず、作らず、持ちこませず」の非核3原則を打ち出し、なんとか日米共同声明に盛り込むことに成功しました。(佐藤は49年にノーベル平和賞を受賞するものの、死後に核持ち込みの密約が発覚している)

こうして佐藤首相が引退すると、自民党内の福田赳夫VS田中角栄両陣営による激しい総裁選争いの末、47年7月に田中角栄内閣が誕生しました。田中はわずか就任2か月後に、懸案だった「日中国交回復」を実現しました。日中の共同声明で 「日本は中国を唯一の合法政府として承認」したため、日本は台湾の国民政府との国交を断絶、民間での交流だけが残されることになりました。(なお、6年後の昭和53年、「日中平和友好条約」が締結され、経済や文化交流面でも緊密化)

また田中は、総裁選のさなかの6月に、「日本列島改造論」を発表しました。その主旨は、太平洋岸に集中している工業地帯を日本全国の拠点都市に分散し、人口20万~40万の中堅都市を育成して、これらの都市を新幹線と高速道路で結ぶというもので、これが総理就任後の大方針となりました。

新潟の農村出身で、これまでの総理が東大を中心に大卒がほとんどだったのに対し、高等小学校(中学に相当)卒の田中が、最高権力者についたことで「角栄人気」はかつてないものになりました。その庶民的な人柄から「庶民宰相」とか「今太閤」(現代版の豊臣秀吉)と呼ばれ、同時に「日本列島改造論」は90万部の大ベストセラーとなって、「列島改造ブーム」を引きおこしました。田中首相は、私的諮問機関として70人の委員から成る「日本列島改造問題調査会」を発足させ、列島改造に走りだしたのです。

しかし、すでに日本を取り巻く情勢は変わっていました。日本経済の高度成長と個人消費拡大を前提とした改造計画は、物価の暴騰、インフレの加速を促すものでした。さらに翌48年10月6日、イスラエルとエジプト・シリア間で勃発した第4次中東戦争は、イスラエルに武器を補給しているアメリカとアラブ諸国の対立に発展します。

そして10月17日にOAPEC(アラブ石油輸出機構)は、石油を政治交渉の武器とする戦略を発表、原油生産の削減と、アメリカなどイスラエル支持国(日本も含め)への石油割り当てを減少させることを決定しました。24日には、サウジアラビア国営石油会社が70%の値上げを日本に通告したのをきっかけに、他の大手国際資本がいっせいに「日本向け原油の供給削減」を通告してきました。石油消費量の99.7%を輸入に頼り、安い石油を背景に発展してきた日本経済は大打撃を受けることになったのです。

こうして、アラブ産油国のとった石油戦略は日本を直撃。大商社の「買い占め」「売り惜しみ」が問題になったところにおきたこの「石油ショック」は、11月には、トイレットペーパー買いに殺到した主婦らが売り場に殺到し、老女が大ケガをする事件までおこりました。政府は、石油緊急対策要綱を決め、マイカーの自粛、企業の石油・電力消費10%削減などを呼びかけるいっぽう、トイレットペーパーは充分にある、メーカー出荷価格1パック140円に凍結を発表するものの、買いだめは砂糖・洗剤・塩などにおよび、全国各地で同様なパニックがおこりました。

12月になると政府は、「狂乱物価」といわれる異常なインフレ抑制をはかろうと、「石油需要適正化法」「国民生活安定緊急措置法」という「石油緊急2法」を公布・施行します。しかし、街からネオンサインが消えて盛り場の店も早じまい、テレビも11時に終了するなど、「じっとガマンの子であった」(ボンカレーのコマーシャル)という [暗い時代] の始まりでした。もはや「列島改造」など夢物語でしかなくなっていたのです。





会の後半は、前回に引き続き、メンバーの酒井猛夫、深澤雅子さん、谷内秀夫氏の「近況報告」が行われました。 (酒井義夫記)


「参火会」1月例会 参加者
 (50音順・敬称略)


  • 岩崎 学 文新1962年卒
  • 植田康夫  文新1962年卒
  • 小田靖忠 文新1966年卒
  • 草ヶ谷陽司文新1960年卒
  • 郡山千里 文新1961年卒
  • 酒井猛夫 外西1962年卒
  • 酒井義夫  文新1966年卒
  • 菅原 勉 文英1966年卒
  • 竹内  光 文新1962年卒
  • 谷内秀夫 文新1966年卒
  • 反畑誠一  文新1960年卒
  • 鴇沢武彦 文新1962年卒
  • 深澤雅子 文独1977年卒
  • 増田一也  文新1966年卒
  • 増田道子 外西1968年卒
  • 向井昌子 文英1966年卒
  • 山本明夫 文新1971年卒